【プロ野球】日本球界との接点ゼロ→12球団に自ら動画を送付 日本ハム・山口アタルが「目の前が真っ暗」なドラフトで起こした逆転劇 (2ページ目)
【目の前が真っ暗になったドラフト当日】
2022年10月20日、ドラフト会議当日。山口は大阪の祖母の家で、育成ドラフトの行方をスマートフォンで見守っていた。指名が進むにつれ、「自分の可能性がなくなっていく」と感じたという。
「西武が、僕と一緒に入団テストを受けた選手を指名した時はショックでした。その選手も外野手だったので、『まさか育成で外野手をふたりも獲らないだろう』と思って、落ち込み始めました。そのあとDeNAも育成選手の指名を終えた。目の前が突然、真っ暗になりました」
もうダメかもしれない──そう思った時だった。
「あきらめかけたところで、自分の名前が呼ばれたんです。『えっ!?』って。本当に信じられませんでした」
北海道日本ハムファイターズ、育成ドラフト3位。山口アタル。
しばらくして、球団から電話が入った。
「ファイターズの荻田(圭)さんから電話をいただきました。現在はスカウトをされていますが、当時、僕が送った売り込みのメールに返信してくれた方だったんです。『おめでとう』と言ってくれて、『日本での実績がないから、使える写真がない。写真を送ってくれないか』と(笑)。それで、その場で写真を撮って送りました」
祖母も父も、自分のことのように喜んでくれた。12球団の問い合わせ窓口を自分で探し、動画を送り続けた青年が、本当にNPBへの扉をこじ開けた瞬間だった。
そして今も、山口の背中には「127」がある。日本球界で何の実績もないところからスタートし、育成選手としてプロの世界で生き残ってきた。3桁の背番号は、プロ入りを果たした証しであると同時に、「まだ支配下ではない」という現在地を示す番号でもある。
「『3桁の選手にしてはいい』じゃなくて、普通に『いい野球選手だ』と思ってもらいたい」
いつの日か「127」が2桁の番号に変わるまで──。山口アタルの挑戦は、まだ終わらない。
山口アタル(やまぐち・あたる)/1999年5月28日生まれ。カナダ・バンクーバー出身。ブリタニア高からコルビー・コミュニティ・カレッジ、テキサス大タイラー校(中退)へ進み、大学時代は投手としてプレーしたのち外野手に転向。日本球界とのつながりがないなか、自ら12球団にプレー動画を送り、日本ハムなど3球団の入団テストを受験した。2022年育成ドラフト3位で日本ハムから指名され、翌23年に入団。179センチ、95キロの恵まれた体格と高い身体能力を武器に、支配下登録を目指してプレーを続けている。右投右打
著者プロフィール
ブラッド・レフトン
1962年、米ミズーリ州セントルイス生まれ。地元ラジオ局で大リーグ取材に携わった後、92年ミシガン大学で修士号取得。その後、NHKの番組制作に携わるため来日。96年に帰国。現在、日米両国の雑誌やテレビでフリージャーナリストとして活躍中。日本人メジャーリーガーや日本でプレーする外国人選手の取材を積極的に行なっている。
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