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小林雅英は勝てば日本シリーズ進出の大一番で4点差を守れず逆転負け 娘からの「パパのバカ」のひと言に救われた

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

セーブ制度導入50年〜プロ野球ブルペン史
「幕張の防波堤」小林雅英が語るクローザーの極意(後編)

 ロッテ入団3年目の2001年、小林雅英は開幕から抑えで活躍する。5月には6日連続セーブのプロ野球新記録を達成し、月間MVPを受賞。後半戦は疲労の影響で不調も、リーグ2位の30セーブを挙げた。前年8月、中継ぎから突然に配置転換されて以降は「無責任の境地」だったというが、いかにして成長を遂げたのか──。日米通算234セーブを挙げた小林に聞く。

2005年の日本シリーズで阪神を破り日本一に貢献した小林雅英 photo by Sankei Visual2005年の日本シリーズで阪神を破り日本一に貢献した小林雅英 photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る

【3つの球種で抑えられたワケ】

「毎日投げる可能性があるポジションになって、キャンプのブルペンで毎日50球を投げる、という練習をやったんです。僕は真っすぐとシュート、スライダーと、球種が少なかったんで、50球のなかでその球種を磨いていかないといけない。キレもそうですし、コントロールもそう。意図したところに意図したボールを投げられるか、考えながら投げていくことで向上できました」

 真っすぐとシュートは150キロを超え、縦のスライダーは140キロ近い。ほとんど緩急差もなく、抑えには必須とされるフォークもない。それゆえ小林の投球は球の力で押しているように見えがちだったが、実際にはコントロールの向上が何より結果につながっていた。

「球種が3つしかないので、もう相手もわかっているわけです。だから毎年、自分のボールを突き詰めて、精査して、磨き続けないといけない。じゃあ、そう考えながら、どうやってコントロールをよくするか。僕の場合は、自分のリリースポイントとキャッチャーミットでラインを引いて、そのラインに乗せていくようなイメージを大事にしていましたね」

 一段と制球力が向上した02年、小林は43登板で43回1/3を投げて与四球はわずか6。自責点4で防御率0.83と盤石の守護神となり、パ・リーグ新記録の17試合連続セーブ、プロ野球新記録の33試合連続セーブポイントを樹立。他球団に研究され、特に右打者がシュートを狙ってきても、それを逆手に取った。本塁打を量産するクリーンアップ相手でもまったく動じなかった。

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著者プロフィール

  • 高橋安幸

    高橋安幸 (たかはし・やすゆき)

    1965年、新潟県生まれ。 ベースボールライター。 日本大学芸術学部卒業。 出版社勤務を経てフリーランスとなり、雑誌「野球小僧」(現「野球太郎」)の創刊に参加。 主に昭和から平成にかけてのプロ野球をテーマとして精力的に取材・執筆する。 著書に『増補改訂版 伝説のプロ野球選手に会いに行く 球界黎明期編』(廣済堂文庫)、『根本陸夫伝 プロ野球のすべてを知っていた男』(集英社文庫)など

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