大谷翔平が大きな影響を与えるMLBのビジネスマーケット 「ワールドシリーズ」「ドジャース」の価値
大谷の54本塁打、59盗塁を記念して東京都内の113箇所にMLBが広告を展開した photo by AFLO SPORTSこの記事に関連する写真を見る
ロサンゼルス・ドジャース移籍1年目にして世界一に輝いた大谷翔平。すでに二刀流選手として歴史残る実績を残してきたが、今シーズンは指名打者として新しい歴史を築き、「真の勝者」となったことで、その付加価値はさらに大きなものとなった。
その影響力は、所属するドジャースのみならず、メジャーリーグ全体のビッグビジネス、そしてこれまで一部で揶揄されてきた「ワールドシリーズ」に、名称どおりの輝きをもたらすものでもあった。
【100年以上の時を経て日本人がワールドシリーズの主役に】
ワールドシリーズという名称が語られる際、しばしば聞かれる批判的な意見のひとつに、「なぜアメリカのプロリーグの優勝決定戦に"ワールド"という、文字がついているのか」というものがある。他のアメリカのプロリーグ、例えばNFL(アメフト)、NBA(バスケットボール)、NHL(アイスホッケー)などでは、このような表現は用いられていない。
理由は19世紀、1884年から1890年まで7年間開催されたナショナル・リーグとアメリカン・アソシエーションの優勝チーム同士の選手権が、大仰な表現を好む当時の風潮から「ワールドシリーズ」と呼ばれていたからだ。その名称が1903年に始まった、現在に続くメジャーリーグの優勝決定戦に引き継がれた。
ちなみに1884年は明治17年。日本でのベースボールは、まだ産声を上げたばかり。明治5(1872)年にアメリカから輸入され、明治11(1878)年に初めて本格的なチームが結成。日本語で「野球」と訳されるようになったのは明治27(1894)年のことだった。明治29(1896)年、第一高等学校が横浜外国人チームに勝ち、少しずつ人気が出始めている。
以後100年以上、日本はアメリカの背中を追いかけてきた。筆者は1998年、日本人が初めてワールドシリーズの舞台に立ったニューヨーク・ヤンキース対サンディエゴ・パドレスを取材していた。伊良部秀輝投手が所属していたヤンキースは4連勝で快勝したが、あいにく伊良部の登板機会は一度もなかった。以後も2002年の新庄剛志(ニューヨーク・メッツ)、03年の松井秀喜(ヤンキース)、04年の田口壮(セントルイス・カージナルス)、05年の井口資仁(シカゴ・ホワイトソックス)と、毎年のように日本人選手が「フォールクラシック」の檜舞台に立った。
しかしながら今回のように、ワールドシリーズが始まる前から、日本人選手が主役として大々的に持ち上げられていたのは初めてだった。さらに驚くべきことに、ワールドシリーズをテレビで視聴した人数において、日本がアメリカを上回った。シリーズの最初の2試合では、日本の平均視聴者数が1515万人に対し、アメリカは1455万人だった。日本の人口は約1億2450万人で、アメリカは約3億3400万人にもかかわらず、しかも日本での放送は午前中に行なわれたにもかかわらず、この結果となった。
MLBのロブ・マンフレッドコミッショナーは、この機会を最大限に活かすべく動いた。ポストシーズンの途中で、MLBは東京中に113のビルボード広告を展開し、これは大谷が公式戦で達成したホームラン(54本)と盗塁(59個)の合計数を表している。コミッショナーは「日本での視聴率は大変なものになる。そこは本当にお金を稼げる重要な市場だ」と語った。ワールドと呼ぶには依然、地球上の一部分に過ぎないが、大谷効果によってその名称にさらに一歩近づいたと言えるだろう。
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著者プロフィール
奥田秀樹 (おくだ・ひでき)
1963年、三重県生まれ。関西学院大卒業後、雑誌編集者を経て、フォトジャーナリストとして1990年渡米。NFL、NBA、MLBなどアメリカのスポーツ現場の取材を続け、MLBの取材歴は26年目。幅広い現地野球関係者との人脈を活かした取材網を誇り活動を続けている。全米野球記者協会のメンバーとして20年目、同ロサンゼルス支部での長年の働きを評価され、歴史あるボブ・ハンター賞を受賞している。