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【高校野球】大阪桐蔭のエース・川本晴大はなぜ攻略されたのか? 明石商が仕掛けた「内角封じ」と14四死球の真相

  • 谷上史朗●文 text by Shiro Tanigami

 1回、2回と頬を膨らませ、息を吐く。腕の振りを確認するような動作を繰り返し、降板することになった6回の投球前には、前かがみの姿勢から肩甲骨を動かす「マエケン体操」も見せた。マウンド上の大阪桐蔭・川本晴大からは、何とか現状を変えようとする必死な思いが伝わってきた。しかし、最後まで状況が好転することはなかった。

 選抜の近畿地区の出場枠は6校。準々決勝の勝敗が極めて大きな意味を持つ秋季近畿大会。その第1試合として、わかさスタジアム京都で行なわれた大阪桐蔭と明石商の一戦は、8対5で明石商が勝利した。これで明石商は、翌春の選抜出場をほぼ確実なものとした。

大阪桐蔭のエース・川本晴大 photo by Sankei Visual大阪桐蔭のエース・川本晴大 photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る

【6回途中161球の裏にあった異変】

 大阪桐蔭にとっては、エース・川本が残した数字がすべてだった。5回2/3を投げ、5安打、14四死球、8奪三振、7失点。投球数はじつに161球。高校野球では、そうそう目にすることのない数字だった。

 ただ、連続死球に押し出し四球と続き、交代を告げられた6回は、さすがに疲れもあったのだろう。明らかなボール球が増えていたが、全体を通してみれば、試合後のネット記事などに並んだ「大荒れ」「大乱調」という言葉ほどの印象は受けなかった。とはいえ、本来の調子ではなかったことは明らかだった。

 その兆候は、試合前から見えていた。午前8時30分の試合開始を前に、一塁側ファウルグラウンドに設けられたブルペン。朝日を浴びながら投球練習を繰り返す川本のボールは左右にぶれ、変化球は高く外れた。ストライクゾーンに収まる球は、わずかだった。

 投げ終わりの体勢は常に右側へ流れ、そばで見守る西谷浩一監督が、しきりにジェスチャーを交えながらアドバイスを送っていた。

 左腕を振りながら、「体を縦に」「軸と左腕を連動させて」とでも伝えているような動きだった。しかし、川本の制球は定まらない。最後も4球連続でボールゾーンに外れたところで、投球練習を終えた。

 試合後、本人にブルペンでの状態を尋ねると、やはり思い当たるところがあったようだ。

「今日はブルペンからよくなくて、西谷先生からも体が横振りになっていると言われていたので、それを縦回転にしようと意識していたんですけど。いつもは試合のなかで修正できることが多いんですけど、今日はできませんでした」

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著者プロフィール

  • 谷上史朗

    谷上史朗 (たにがみ・しろう)

    1969年生まれ、大阪府出身。高校時代を長崎で過ごした元球児。イベント会社勤務を経て30歳でライターに。『野球太郎』『ホームラン』(以上、廣済堂出版)などに寄稿。著書に『マー君と7つの白球物語』(ぱる出版)、『一徹 智辯和歌山 高嶋仁甲子園最多勝監督の葛藤と決断』(インプレス)。共著に『異能の球人』(日刊スポーツ出版社)ほか多数。

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