「辞めるつもりだった」京都国際の監督が甲子園へ。教え魔から指導スタイルを変えた
『特集:球春到来! センバツ開幕』
3月19日、2年ぶりとなるセンバツ大会が開幕した。スポルティーバでは注目選手や話題のチームをはじめ、紫紺の優勝旗をかけた32校による甲子園での熱戦をリポート。スポルティーバ独自の視点で球児たちの活躍をお伝えする。
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今回のセンバツは初出場が10校とフレッシュな大会となっているが、近畿地区の一般枠代表で唯一、初出場となったのが京都国際だ。
京都国際の前身は京都韓国学園で、もともとは高校ではなく高卒資格のない民族学校で、生徒は韓国からの留学生がほとんどだった。1999年に野球部が創部され、同年夏に外国人学校として府大会に参加。初戦で対戦したのが、前年夏の甲子園で準優勝を飾った京都成章だった。
現在、京都国際を率いる小牧憲継監督は、その試合に京都成章の1年生レギュラーとして出場していた。結果は34対0で京都成章の圧勝。その後、奇しくもその対戦相手校の指導者となった小牧監督は、その経緯をこう振り返る。
京都国際を初の甲子園へと導いた小牧憲継監督「京都韓国学園の中学校から京都成章に来た同級生がいたんです。あの夏、試合に出ていた自分を当時の京都韓国学園の監督が覚えていて、卒業後、その同級生に声をかけられ、遊びがてら教えにいったのが始まりでした。大学を卒業したあとも、地元の銀行に勤めながら練習を手伝うことになりました」
ところが当時の監督が不祥事で辞任することになり、2006年12月から本格的に指導スタッフとして携わることになった。2007年4月からは正式にコーチに就任し、2008年4月から監督となった。
ちなみに、京都国際へと校名が変更されたのは2004年から。野球部も当初は留学生がほとんどだったが、徐々に地元や近隣府県からも選手たちが入学するようになった。とはいえ、まだまだ府内を勝ち抜くには遠く及ばなかった。
「正直、初めの頃は野球になっていなかった。野球になり始めたのはここ4、5年ほど前。それまではヤンチャな選手が多くて、手を焼いてばかりで......まずはしっかり戦えるチームにすることで精一杯でした」
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