箱根駅伝2025 「三冠」達成時の主将・山野力が見る今季の駒澤大 「今、篠原(倖太朗)は苦しいかもしれないけど...」
山野力(九電工)インタビュー(後編)
山野は走りでもキャプテンシーでもチームに貢献した。photo by AFLO
◆インタビュー・前編>>2年前の駒澤大「三冠」達成時の主将・山野力は、田澤廉ほか多士済々のチームをどうまとめたのか?
【大八木監督(当時)に言われたこと】
駒澤大でキャプテンを務め、大学駅伝三冠を達成した山野力(現・九電工)。選手としては抜群の安定感を誇っていたが、キャプテンとしての山野のすごさは、面倒くさいことを嫌がらずに真正面から向き合い、副キャプテンの円健介(引退)のサポートを得て、4年生を団結させてチームをまとめていった手腕にあった。
それが大きな結果につながった。
「三冠を獲った時は、それまでの人生で最高の瞬間でした。自分は箱根駅伝を走ることを目標に陸上を続けてきたのですが、まさか自分がその優勝チームに入れて、さらにキャプテンをやらせてもらえるなんて想像もできなかった。本当に4年生の仲間をはじめ、みんなのおかげでいい経験をさせてもらったと思います」
キャプテンの経験は山野を人間的に大きく成長させてくれた。
「中高とキャプテンや副キャプテンをやってきたんですが、大勢の人の前で発言する機会があまりなく、自分の意見を言うのがすごく苦手なタイプだったんです。でも、駒澤大でキャプテンをまかされてからそういう機会が増えて、後援会の皆さんの前や、優勝した時も二子玉川駅前で大勢の人の前で話をしたりするなかで、そういうシーンになってもパニックにならずに自分の意見を言えるようになりました。今、実業団でキャプテンをしているのですが、そのおかげで自分の言いたいことをしっかり伝えることができているのかなと思います」
母校の駒澤大は陸上の強豪校であり、箱根駅伝の常連校でもある。歴史と伝統があるチームだけに脈々と受け継がれているものがある。キャプテンについても「駒澤大のキャプテンは、かくあるべき」というものがあったのだろうか。
「特にそういうのはないです。これをしないといけないとか、キャプテンのルールみたいなものもないです。もしかすると他の先輩たちの時にはあったのかもしれないですけど、自分の代は、いらないもの、合わないことは全部カットするなど、自分のやりたいことを自由にやらせてもいました」
キャプテンは監督の考えや指示を選手に伝えるために、監督とコミュニケーションを取り、選手との橋渡し的な役割を担うことも多い。当時は、大八木弘明監督(現・総監督)だったが、指導者との関係はどうだったのだろうか。
「4年生の時、チーム作りは同級生と一緒にという感じだったので、そこまで監督と密にコミュニケーションを取ることはなかったですし、キャプテンをやっていて、特にあれこれ言われたこともないです。ただ、4年になった時、『4年生がしっかりとしていないとチームはうまくいかないぞ』というのは、言われました。そこは肝に銘じてチーム作りをしていました」
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著者プロフィール
佐藤 俊 (さとう・しゅん)
1963年北海道生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、出版社を経て1993年にフリーランスに転向。現在は陸上(駅伝)、サッカー、卓球などさまざまなスポーツや、伝統芸能など幅広い分野を取材し、雑誌、WEB、新聞などに寄稿している。「宮本恒靖 学ぶ人」(文藝春秋)、「箱根0区を駆ける者たち」(幻冬舎)、「箱根奪取」(集英社)など著書多数。