北口榛花は「世界記録を投げたいと言った」チェコ人コーチが語る"ハルカ"との出会いとトレーニングの内容 (3ページ目)

  • 寺田辰朗●取材・文 text by Terada Tatsuo

【ドーハ世界陸上の予選落ちと東京五輪のケガ】

 チェコに行き始めた2019年シーズンは、北口にとって大きな出来事が続いた。前述のように5月には64m36と、海老原有希が2015年に出した63m80の日本記録を更新した。

 しかし9月末の世界陸上ドーハは予選で60m84、13位で予選落ちした。フィールド種目は12人が決勝に進む。12位選手の記録は60m90。わずか6cm差で決勝の舞台で投げることができなかった。

 非常に惜しい結果ではあったが、60m台で予選落ちした選手は北口を含め5人いた。誰が決勝に進んでもおかしくない状況だったが、それはつまり誰が予選落ちしても不思議ではない戦況でもあった。

 セケラック氏の当時の北口への評価は「チェコで半年間トレーニングをしましたが、まだ力がなかった」というもの。"力"は競技力そのものではなく、パワーの部分を指している。

 それでも10月下旬には北九州で66m00と、自身の日本記録を1m64も更新した。19年シーズンの世界7位の記録で、すでに世界トップクラスの力があることを示していた。

 同じ試合に出場していた同級生ライバルの山下実花子は「投げたところは見ていませんでしたが、すごい歓声があがって...。記録を知った時は笑っちゃいました。そんなに飛んでいたんだ、って」と北口の快投を振り返った。北九州の試合は日本陸連が指定するグランプリ大会。全国大会ではあったが、日本選手権などと違い、緊張感は大きくない。そのなかでも世界トップレベルのパフォーマンスを見せる北口に、ライバルも開いた口が塞がらなかった。

 翌2020年は新型コロナ感染拡大で、シーズン前半の競技会はほとんどが中止になった。東京五輪も1年延期に。シーズンベストは63m45で、当時の自己4番目と悪い記録ではなかった。

 そして迎えた21年の東京五輪。予選は62m06のシーズンベスト、全体6番目の記録で通過した。だが決勝は、左脇腹に痛みが生じていた影響で55m42の最下位(12位)に終わった。セケラック氏は「東京五輪の時は力も付いていました」と振り返った。

「しかしスピードのエネルギーが出る時は、スムーズな動きにつなげられず、それがケガにもつながったと思います。トップクラス、もしかしたら3位以内に行ける可能性もありましたが、残念ながらケガがあった」

 地元五輪で結果を出すことはできなかったが、翌2022年の世界陸上オレゴン大会で北口は、歴史的な偉業をやってのけた。投てき種目のみならず女子フィールド種目においても、五輪&世界陸上で日本人初のメダル獲得という快挙を達成したのである。

【Profile】北口榛花(きたぐち・はるか)/1998年3月6日生まれ、北海道出身。旭川東高校→日本大学→日本航空。小中学時代はバドミントンと競泳に打ち込み、高校入学後にやり投を始めると、競技歴3カ月でインターハイに出場。その後、成長を続け、翌2014年にインターハイ優勝、2015年には世界ユース選手権で日本女子の投擲種目で初の金メダルを獲得した。2019年には初めて日本記録を更新し、東京五輪では6位入賞。2022年オレゴン世界陸上選手権では3位となり、女子のフィールド種目では五輪・世界陸上史上初のメダリストに。そして翌23年ブダペスト世界陸上では最終6投目で逆転優勝を決め、同史上初の金メダリストになった。

プロフィール

  • 寺田辰朗

    寺田辰朗 (てらだ・たつお)

    陸上競技専門のフリーライター。陸上競技マガジン編集部に124カ月勤務後に独立。専門誌出身の特徴を生かし、陸上競技の"深い"情報を紹介することをライフワークとする。座右の銘は「この一球は絶対無二の一球なり」。同じ取材機会は二度とない、と自身を戒めるが、ユーモアを忘れないことが取材の集中力につながるとも考えている。「寺田的陸上競技WEB」は20年以上の歴史を誇る。

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