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電気・ガスが止まる、食べるお金がない、家はナメクジだらけ 競輪・佐々木豪を磨き上げた高校時代のたったひとりの生活 (2ページ目)

  • text by Sportiva

つらかった過去もポジティブに捉える佐々木 photo by Sunao Noto(a presto)つらかった過去もポジティブに捉える佐々木 photo by Sunao Noto(a presto)この記事に関連する写真を見る

【高校での極貧生活】

 幼い頃から佐々木の周りにはつねに競輪があった。「テレビではずっと(レースの)オッズが表示されていた」というほど、父親は熱烈な競輪ファン。佐々木は意味もわからずその数値を眺め、時には父親と競輪場に足を運んでいた。

「小さい頃の夢はお金持ちになることだったので、親父にどうやったらお金持ちになれるのかと聞いたら、『競輪選手になればお金持ちになれる』と言われたので、幼稚園の頃から競輪選手を目指していました」

 競輪選手になる夢を持ち続けていた佐々木だが、そのきっかけを与えてくれた父親は、彼が中学生になる頃には家を離れ、県外で暮らすようになっていた。またフィリピンにルーツを持つ母親は頻繁に母国に帰ってしまい、高校に上がる頃にはたったひとりで生活することに。当然お金もなく「鬼貧乏だった」という。

 佐々木は、なんとかして"将来はお金持ちになりたい"と競輪選手への夢を強固なものにし、高校は自転車競技部のある松山工業高校に進学。しかし、肝心の自転車を買う余裕はなかった。

「お金はなかったんですが、熱意だけはあったので、自転車屋さんに行って事情を話して、『プロになったら払ってくれたらいいから』と自転車を工面してもらいました。だから当時のフレームはその方の弟さんのものを譲ってもらって、みんながいらなくなったパーツを組み合わせて自転車を組み立てました」

 お弁当も含め、毎日の食事は自分で作るなど、身の回りのことは全部ひとりでこなした。時には電気・ガスが止められることもあり、水のシャワーを浴び、暗闇の中で生活したこともあった。

 また、手持ちがなくなった時には、「知り合いの家でご飯を食べさせてもらったり、カップラーメンをたくさんもらったりして食いつないでいた」という。さらに「すごく隙間の多い家だったんですが、梅雨時にはナメクジが大量発生して、その時は本当にやばかった」と想像を絶する生活を送っていた。

 自暴自棄になってもおかしくないような環境だったが、競輪選手になる夢はあきらめなかった。それは自転車を工面してくれた方々、食べさせてくれた方々など多くのサポートがあったからだ。

「僕がプロになりたいと言っていたから、みんなが応援してくれました。だからそれに絶対に応えたいという気持ちがありました」

 高校3年時に日本競輪学校(現日本競輪選手養成所)の試験を受け不合格となるも、そこからはアルバイトをしながら必死に努力を重ね、翌年の試験でなんとか合格をつかんだ。こうしてようやく夢の第一歩を踏み出すことができた。

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