【ハイキュー‼×SVリーグ】岡山シーガルズ中本柚朱の胸に刺さった星海光来の言葉 高さで「不利」でも粘りのバレーで勝つ
岡山シーガルズ 中本柚朱
(連載24:岡山シーガルズ城戸うらんのバレー人生は紆余曲折 日向翔陽のひたむきさを見て「自分も諦めんとこう」>>)
岡山シーガルズの中本柚朱(22歳)は、2024年の黒鷲旗大会でベスト6に輝くなど、現在、売り出し中の若手アウトサイドヒッターだ。SVリーグでさらなる活躍が見込まれる。
「バレーを始めたのは6歳です。楽しそう、と思った記憶はなく、"やるもの"だと思っていました」
中本はそう原点を振り返る。バレーボールはほぼ生来的に人生のなかに溶け込んでいた。
「2歳上のお姉ちゃんの後をついていく性格だったので、クラブでバレーをやっていたお姉ちゃんについていき、『いつか一緒にやるものだ』と思っていました。ほかの選択肢はなくて、小学校の入学式の日に入部届を出しました。いろんなお姉ちゃんが優しくしてくれるし、当時から身長は高かったですね」
しかし年数を重ねると、姉とは「バチバチしていた」という。
「私は小学4年生までずっとレシーバーで、当時6年の姉はライトでエース。姉とは、『ボールを上げろよ』『決めんさいや』と言い合うような感じでした(笑)。5年生になってからは私も打つようになって、自分でサーブをカットし、アンダーで上げてくれたトスを打って、ブロックもしていました」
図らずも、現在の"オールラウンドなアウトサイドヒッター"の原型ができた。
中学2年時には、大阪国際大和田中学校(現・大阪国際中学校)に転校。姉が通っていた学校に越境留学する形で、高校も大阪国際滝井高校(現・大阪国際高校)で姉の後を追っている。
「姉がいなかったら、ここにいないです。ずっと背中を追ってきた存在だったので。それで、春高バレーは3年で準優勝できました」
姉妹のせめぎ合いが成長を促した。姉は現在、9人制のチームでプレーしているという。
「でも春高の決勝は、就実に勝ちきれなかった悔しさも残っています。就実戦、最後にトスを上げてもらって、みんなに託されていたのに、それを決めきれなかった。自分が止められて、みんなどう思っているのか......レフトの選手なら、みんなその怖さを感じたことがあると思いますが」
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著者プロフィール
小宮良之 (こみやよしゆき)
スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。