【ハイキュー‼×SVリーグ】岡山シーガルズ城戸うらんのバレー人生は紆余曲折 日向翔陽のひたむきさを見て「自分も諦めんとこう」
岡山シーガルズ 城戸うらん
(連載23:岡山シーガルズ金田修佳が、古賀紗理那を見て感じた自分の「平凡」さ「だから下を向いている暇はない」>>)
「(トップリーグ)5年目になるんですけど、自分の目指すべき選手が見えてきました」
岡山シーガルズの城戸うらん(23歳)は、少し恥じらいながらそう言った。「うらん」。その名前は、語感のよさから名づけられたという。
「自分が試合でコートに入るために何が必要か、チームにどんな貢献ができるのか。(アウトサイドヒッターとしては168cmで)身長が足りないし、今年からSVリーグは外国人選手が多い。でも、自分は最後の1点を取りたいし、取れる選手を目指しています」
奈良県香芝市に生まれた城戸は、8歳の時に友人からバレーボールのスポーツ少年団に誘われた。クラスの名前順で、たまたま後ろになった子に「お姉ちゃんもやっているから」と体験に行くことになったという。ピアノやスイミングなど、ほかの習いごとは長続きしなかったが......。
「最初はバレーというスポーツを知りませんでした」
しかし、運命的な一瞬があった。
「体験に行った時、『レシーブはこう腕を組んで、ここにボールを当てるんやで』と教えられて。そこで、ボールがたまたま腕に当たっただけなんですが、監督がすごく褒めてくれたんです。『絶対にうまくなる』と言われて、それが嬉しくて(笑)。ちょっと楽しいかもと思って始めました」
小学生のうちから活躍し、中学は大阪国際大和田中学校(現・大阪国際中学校)に進むことを決めた。地元に残っていたら、テニス部に入っていたそうだが、彼女はバレーを選択した。
しかし中学2年時に、前十字靭帯断裂という憂き目に遭っている。半年以上、戦列から離れることになった。苦しい経験を経てメンタル面の成長を感じた一方で、「ケガがなかったらもっと成長できたのに」という悔しさもあった。
城戸は紆余曲折もありながら、バレーの道を進んできた。だからこそ、大阪国際滝井高校(現・大阪国際高校)を経て岡山でプレーする道が開けたのだろう。
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著者プロフィール
小宮良之 (こみやよしゆき)
スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。