【ハイキュー‼×SVリーグ】日本製鉄堺ブレイザーズ上村琉乃介は劣勢でこそ燃える 日向翔陽のように「戦える選手になりたい」
日本製鉄堺ブレイザーズ 上村琉乃介
(連載12:日本製鉄堺ブレイザーズ安井恒介は田中龍之介の言葉で気持ちを奮い立たせる>>)
(c)古舘春一/集英社この記事に関連する写真を見る
(連載12>>)
礼儀正しく、腰も低く、真面目な性格なのだろう。インタビューでも、年長者が座るまで決して先には座らない。発する言葉も謙虚だった。
しかし、上村琉乃介はこう宣言した。
「日本一になりたい」
野心を隠しているのだ――。
バレーボールとの出会いは、偶然とも、運命的とも、どのようにも解釈できた。
小学1年から5年まではサッカーをしていたが、あまり上達が感じられず、心が離れつつあった。小5のある日、母親のママさんバレーについていった時だ。地元にあるチームのVC長野(トライデンツ)が「ジュニアチームを立ち上げる」という話を聞いた。新しいものが始まる気配に、関心を持った。VC長野の元選手のプレーも見ることができ、羽ばたくようにスパイクを打つ姿に魅了された。
「何が楽しい、とかは覚えていないんですが、スパイクを打つフォームがカッコいいなって」
上村は真っ直ぐな目をして言う。
「それでVC長野のジュニアに入って、トップチームの選手とも話せる機会があったのがよかったです。当時は(Vリーグ)チャレンジリーグで戦っていたと思うんですけど、"この舞台でやってみたい"って思いました。中学生の時には、親に『Vリーガーなる』と言っていたそうです。試合観戦も行きましたし、『すごいな』って」
小学校、中学校と、全国でトップになるような強豪でプレーしたことはなかった。しかし、トップレベルのバレーが近くにあったことで、戦う準備はできた。
上村は強いエゴを持つわけではなく、任されたポジションに全力で挑む性格だった。中学はミドルブロッカーで、山梨の強豪・日本航空高校ではミドルブロッカーと、アウトサイドヒッターでプレー。東京学芸大では1、2年時はミドルブロッカーだったが、3年からオポジットに転向した。
「ミドルブロッカーは前、3ローテしかないし、アウトサイドヒッターはレセプションをしないといけない。オポジットも右打ちが苦手だったんですが......トスを遠くまで持ってきたら、幅の利点を生かして打てるなと。それに、バックアタックが好きで、1番跳べる。いろいろなポジションをやってきたことが、オポジットにつながっていると思います」
おとなしそうに見えるが、ギリギリの展開を楽しみたいという衝動がある。
1 / 3
著者プロフィール
小宮良之 (こみやよしゆき)
スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。