鉄人・上野由岐子、44歳の金メダリスト 葛藤もありながら2028年ロス五輪に向けて「まだソフトボールをやりたい」 (2ページ目)
【辞めてもいいなと思うことも】
振り返れば24年間、いろんなことがあった。決して平坦な道のりではなかった。2002年釜山アジア大会で日本代表は初優勝。その時のエースが20歳の上野だった。以後、今大会までアジア大会7連覇。マウンドには必ず「鉄腕・上野」がいた。
2008年の北京五輪もそうだった。最後は、26歳の上野が2日間で3試合をひとりで投げ抜いた。日本ソフトボール史に残る「上野の413球」である。体はボロボロ。しかし優勝直後の上野は、「頭がパンクしそうに疲れました」と精神的な疲労を口にした。
上野はその後、燃え尽き症候群に陥った。北京大会を最後に、五輪競技からソフトボールが除外された。現役引退が脳裏にちらついた。指導者になるための資格も取った。
その後、何度か大けがも負っている。それでも、やはり上野はソフトボールから離れることができなかった。「辞めてもいいな、と思うことは多々ありますよ」と小さく笑った。
「そのくらい、選手を続けるのが難しかったり、簡単なことではなかったりすると思うので......。ただ、辞められない理由があったり、辞めたくない思いがあったり、いろんなものがあって、それが今、何とかつながっている一番の要因じゃないかなと思います」
ソフトボールが復活した2021年の東京五輪では、13年越しの連覇を果たした。上野は珍しく泣いた。当時39歳。決勝のマウンドは6回途中でいったん当時20歳の後藤に託し、最後は再びマウンドに戻った。2対0の快勝。北京五輪とは違い、その時はふたりでマウンドをつないだ。
そういえば、後藤は小学生の時、北京五輪の「上野の413球」に感動し、ソフトボールを始めた逸材だった。憧れから現実に──そうやって時代はつながれていく。
東京五輪はコロナ禍のため、無観客だった。しかし、この日は満員の地元ファンが安城市の会場を埋めた。上野は言葉に実感を込める。
「どの日本戦も満杯で、とっても心強かったです。私たちも『もっとがんばらなきゃ』という思いにさせてもらえました」
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