帰国子女でもなく、海外留学もわずか1年の佐々木真理絵はなぜスポーツ通訳者の仕事に就けたのか?
スポーツを支える仕事〜スポーツ通訳者・佐々木真理絵
平成という時代が始まった1989年、日本でプロスポーツと言えるのはプロ野球か大相撲かプロレスかボクシングか......Jリーグさえまだ生まれていなかった。あれから30年以上が経ち、日本のスポーツ界も大きく変わった。
日本から海外に渡るアスリートもいれば、自国を離れ日本にプレーの場を求める外国人選手もいる。サッカー、ラグビー、バスケットボールなどのプロリーグでは、日本人だけでチームを構成することのほうが珍しいくらいだ。そんななかで、重要な役割を任されるのが通訳者だ。
現在はフリーランスの通訳者として活躍している佐々木真理絵氏 photo by Motonaga Tomohiroこの記事に関連する写真を見る
【留学経験は1年だけ】
共通言語を持たない選手と選手、選手と監督、スタッフの間に立ち、お互いの意志や考えを伝えるという難しい仕事をしなければならない。当然、語学力が求められるが、それだけでは十分ではない。どうしても生じてしまう隙間を埋めることが期待されている。それも限りなく、目立たない形で。
さまざまなスポーツの現場で通訳者として活躍する佐々木真理絵はアメリカでの留学経験はあるものの、それは1年だけ。「英語はネイティブレベルに届かない」と言う。それでもなぜスポーツ通訳者になれたのか。
佐々木は言う。
「大学時代に1年間、アメリカの大学に留学しましたが、その時、英語ができる日本人とたくさん会いました。語学が堪能で優秀な人ばかりで、そういう人たちと英語で仕事をすることに尻込みしたこともあって、日本で就職しようと考えました」
全国展開をしている英会話スクールに入社し、その後、社会人向けの英会話スクールに移った。多忙な毎日のなかで再び英語を学びたいと考えた頃、中学生の時に見た光景がよみがえったと言う。
「2002年、日本と韓国で開催されたサッカーのワールドカップに出場した日本代表の監督はフランス人のフィリップ・トルシエさんでした。そして、その横にいた通訳者のフローラン・ダバディさんも注目されていました。次の仕事を考えた時にダバディさんの顔が浮かんで、『私はスポーツの通訳者になりたい』と思ったのです」
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著者プロフィール
元永知宏 (もとなが・ともひろ)
1968年、愛媛県生まれ。 立教大学野球部4年時に、23年ぶりの東京六大学リーグ優勝を経験。 大学卒業後、ぴあ、KADOKAWAなど出版社勤務を経て、フリーランスに。著書に『荒木大輔のいた1980年の甲子園』(集英社)、『補欠の力 広陵OBはなぜ卒業後に成長するのか?』(ぴあ)、『近鉄魂とはなんだったのか? 最後の選手会長・礒部公一と探る』(集英社)など多数。2018年から愛媛新聞社が発行する愛媛のスポーツマガジン『E-dge』(エッジ)の創刊編集長