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セルジオ越後からジーコまで 日本サッカーが影響を受けたブラジルの超絶テクニック

  • 後藤健生●文 text by Goto Takeo

連載第29回 
サッカー観戦7000試合超! 後藤健生の「来た、観た、蹴った」

 なんと現場観戦7000試合を超えるサッカージャーナリストの後藤健生氏が、豊富な取材経験からサッカーの歴史、文化、エピソードを綴ります。

 今回は前回に引き続き、ブラジルサッカーと日本の関係について。メキシコW杯優勝のテレビ放映やジョージ与那城やセルジオ越後の来日、そしてJリーグ開幕前後に大きなインパクトを与えたジーコの活躍を紹介します。

超絶テクニックとサッカー教室で日本サッカーに大きな影響を与えたセルジオ越後 photo by AFLO超絶テクニックとサッカー教室で日本サッカーに大きな影響を与えたセルジオ越後 photo by AFLOこの記事に関連する写真を見る

【ブラジルのサッカーが日本人の心をとらえた】

 1967年にサンパウロの強豪パルメイラスが来日し、ネルソン吉村(大志郎)がヤンマーディーゼル(セレッソ大阪の前身)に加入。日本のサッカー界にとって、ブラジルという国はにわかに身近なものとなった。

 日本人がさらにブラジルに引きつけられたのは、1970年のメキシコW杯の試合が放映されたからだった。

 それまで、日本ではW杯の認知度は低く、1966年イングランドW杯の決勝戦が録画で放送されたことがあっただけだった。

 当時、東京12チャンネル(現在のテレビ東京)では「三菱ダイヤモンドサッカー」という番組が放映されていた。週に1度の45分番組で、主にイングランドのフットボールリーグの試合が紹介されていた。

 もちろん生中継ではなく、1週目には前半だけ、翌週は後半だけという番組だった。当時は海外の試合映像を見られるのはこの番組だけだったので、サッカー好きはテレビの前で食い入るように画面を見つめたものだ(テレビは一家に1台の時代、家庭内でのチャンネル争いが大変だった)。

 この番組で1970年メキシコW杯のほぼ全試合が(やはり、2週間に1試合のペースで)放映されたのだ。

 この大会ではサッカーの王様、ペレを擁するブラジルが圧倒的な強さで優勝を飾った。ペレ以外にも「白いペレ」と呼ばれたトスタンやジャイルジーニョ、ロベルト・リベリーノといったスター軍団で、サイドバックのカルロス・アルベルトが華麗な攻撃参加を見せた。監督としてチームを率いたのは、自身も選手として1958年スウェーデンW杯で優勝を経験したマリオ・ザガロだった。

 地元メキシコの観衆も、ラテンアメリカの代表としてブラジルを熱烈にサポート。ブラジルは南米予選から本大会の決勝まで、ひとつの引き分けもなく、全勝で優勝を決めた。W杯史上最強のチームと言ってもいい。

 そのブラジルのサッカーが日本人の心をとらえたのだ。

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著者プロフィール

  • 後藤健生

    後藤健生 (ごとう・たけお)

    1952年、東京都生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程修了(国際政治)。1964年の東京五輪以来、サッカー観戦を続け、1974年西ドイツW杯以来ワールドカップはすべて現地観戦。カタール大会では29試合を観戦した。2022年12月に生涯観戦試合数は7000試合を超えた。主な著書に『日本サッカー史――日本代表の90年』(2007年、双葉社)、『国立競技場の100年――明治神宮外苑から見る日本の近代スポーツ』(2013年、ミネルヴァ書房)、『森保ジャパン 世界で勝つための条件―日本代表監督論』(2019年、NHK出版新書)など。

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