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【プロ野球】「工藤でも簡単には勝てん」広岡達朗が中日新監督に突きつける厳しい現実 ソフトバンク黄金時代との決定的な違い (2ページ目)

  • 松永多佳倫●文 text by Takarin Matsunaga

「ドラフト会議の直前に、管理部長だった根本陸夫さんに『今年のなかで一番いいピッチャーは誰ですか』と尋ねたんだ。そうしたら『名電の工藤だ』と即答するもんだから、『どうして指名しないんですか』と聞いたら、『熊谷組に絶対行くから、指名しても来ない』と答えた。

 そこで『来なくてもいいから、交渉権だけは獲ってくれませんか』と頼んで指名した。決して出来レースじゃない。西武は誠心誠意交渉できる球団だから、交渉権さえ獲っておけば、どうにかなると思ったから頼んだんだ。根本さんからしたら『しょうがねえな』って感じだったんだろうな」

 40年以上も前の出来事を、まるで昨日のことのように語る。その口調からも、工藤氏に対する特別な思いが伝わってきた。

【広岡達朗が認める工藤公康の探究心】

 西武に入団した工藤氏は、高卒1年目から一軍で27試合に登板。翌1983年も23試合に登板し、徐々に経験を積んでいった。なぜ、広岡氏は若き左腕を一軍で育てようと考えたのか。

「工藤は要領がよくて頭がいいから、二軍に置いたら適当にこなして、真面目にやらないタイプだと思った。そんなことくらい、監督だったら見抜けないといけない。入団した時からカーブは十分に使えたし、フォームも直すところはなかった。だから一軍に置いて育てようと思ったんだ。球数はそんなに多く投げさせていない。長いイニングは使えなくても、1イニングだけなら十分に期待に応えてくれた」

 才能を認めていたからこそ、安易に二軍で経験を積ませるのではなく、一軍の厳しい環境に身を置かせた。そこには、選手の性格まで見抜いた広岡氏なりの育成哲学があった。

 そしてプロ3年目の1984年には、工藤氏に新たな試練を与えた。

「工藤に『やっぱりハングリーでないと人間は本物になれないから、アメリカの1Aに行け』と言って、留学をさせた。向こうでハングリー精神を叩き込ませようと思ったんだ。それが本当に勉強になったらしい。帰国してから話を聞くと、『向こうのハングリーは日本と全然違って厳しいですね』と言っていた。本人もハングリー精神の必要性を肌で感じたんだろう。

 それから工藤は複数の球団を渡り歩いて、いろんな経験をしている。たしか巨人在籍中だったと思うが、取材で会った時に『おまえの活躍は隔年じゃないか。もうちょっと真面目にやれ』と言ったら、『いや、毎年真面目にやってますよ』と飄々と返してきたことがあったな。引退後は大学院に行って、運動生理学から心理学まで、さまざまな分野を研究して野球に生かしている。たいしたもんだ」

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