「石で鳥を落とす」コントロールの高橋善正はプロ初登板で13回を完封

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

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「令和に語る、昭和プロ野球の仕事人」 第24回 高橋善正・前編 (シリーズ記事一覧>>)

 令和も4年目となった今、あえて「昭和プロ野球人」の過去のインタビュー素材を発掘し、その真髄に迫るシリーズ連載。昭和40年代から50年代にかけて、東映と巨人で活躍した高橋善正(よしまさ)さんは巨人時代のリリーフとしてのイメージが強いが、プロ入りから6年間の東映時代は先発完投型の投手だった。

 サイドスローからの切れ味鋭いシュートと巧みなコントロールを武器に、プロ初登板で完封勝利。ルーキーイヤーに15勝を挙げて新人王に輝いた?橋さんは、後に完全試合を達成し、プロ・アマで指導者としても実績を残してきた。今も一目置かれる"球界の論客"は、中学時代から肘(ひじ)の痛みに悩まされながらも、どのように密度の濃い11年間の現役生活を送ったのだろうか。

1967年、プロ初登板初先発で延長13回を完封勝利した高橋善正(写真=共同通信)1967年、プロ初登板初先発で延長13回を完封勝利した高橋善正(写真=共同通信)

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 高橋善正さんに会いに行ったのは2017年10月。東京から空路、高知に飛んでお話をうかがった。現役時代は東映(現・日本ハム)、巨人でプレーした高橋さんだが、その1年ほど前から出身地の高知に帰郷していた。

 1944年生まれの高橋さんは61年、高知商高2年の夏に投手として甲子園に出場。進学した中央大では2年時からエースとして活躍し、66年の第二次ドラフト(この年は二度に分けて実施された)で東映に1位指名され入団。1年目から15勝を挙げて新人王に輝き、5年目の71年にはプロ野球史上12人目の快挙となる完全試合を達成した。

 その後、73年に移籍した巨人で5年間プレー。引退後は巨人二軍に始まり4球団でコーチを務め、2008年からは母校・中央大の監督に就任して11年まで率いた。プロ入りした教え子には澤村拓一(レッドソックス)、美馬学(ロッテ)らがいる。投手として、指導者として、聞きたいことは山ほどある野球人なのだが、会いに行きたいと思ったきっかけは巨人の惨状だった。

 球団史上ワーストの13連敗が響いて11年ぶりのBクラスとなり、初めてCS進出を逃した2017年の巨人。補強戦力がまともに機能しないばかりか若手の台頭もなく、FAで加入した選手の不祥事まで起きた。シーズン中では異例のGM交替にコーチ陣の大幅な配置転換もあり、球団も現場も揺れ動いた。こんな状況を高橋さんはどう見ているだろう、と思ったのだ。

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