斎藤佑樹の小学生時代「僕はモテませんでしたよ」。野球を始めた契機、憧れたのは松坂大輔と茂野吾郎 (3ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta

 あの頃、松坂さんと同じくらい強く影響を受けていたのは、漫画『MAJOR』(満田拓也/小学館)です。兄が読んでいたのでそれを僕も読んだんですけど、なんとなく自分を茂野吾郎に重ねて読んでいました。僕、どのマンガも主人公に自分を重ねちゃうんです。『ONE PIECE』(尾田栄一郎/集英社)ならゾロじゃなくてルフィだし、『SLAM DUNK』(井上雄彦/集英社)なら流川楓じゃなくて、断然、桜木花道です。

 だって、僕がずっとストレートにこだわり続けてきたのは、茂野吾郎のせいなんですよ。あんなキレイな真っすぐを投げて、しかもその真っすぐだけでメジャーリーグに挑戦するなんて、そんなことされたら、漫画を読んでるこっちだって夢を追いかけたくなるじゃないですか(笑)。

中学で硬式をやる選択肢はなかった

 初めて大きな大会に出たのは、小学5年生の時の群馬県大会でした。僕ら、ベスト8まで勝ち上がって、準々決勝で桃木フェニックスというチームと戦ったのを覚えています。投げ合った左ピッチャー、球がメチャクチャ速くて、ビックリしました。たぶん、あの時に6年生でしたから、僕の一つ上だと思うんですけど、その後、出会えなかった。彼は今、どこでどうしているのかな......なんて考えること、ありますね。

 小学校の時のチームメイトとは今でも連絡をとり合っています。僕は小学1年生の時にチームに入ったんですけど、2年生の時に生品リトルチャンピオンズに入ってきたのが小倉隼人くんです。彼は今、群馬で中学校の先生をしています。僕が5年生の時までは一つ上の先輩がキャッチャーだったんですけど、6年生になって隼人とバッテリーを組みました。隼人とは中学でもバッテリーでしたね。

 父から「文武両道を目指せ」と言われていたこともあって、僕、中学で野球をメインにするのは違うんじゃないかと思っていて、勉強もしながら野球もやりたかった。だから中学で硬式をやるという選択肢はありませんでした。

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