元日本ハム大嶋匠の前代未聞の挑戦。7年間「野球人になれた」実感は一度もなかった【2021年人気記事】
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コロナ禍においてでも、東京五輪・パラリンピックなどで盛り上がった2021年のスポーツ界。そのなかでも、スポルティーバはさまざまな記事を掲載。今年、反響の大きかった人気記事を再公開します(2021年5月1日配信)。
※記事は配信日時当時の内容になります。
連載『なんで私がプロ野球選手に⁉』
第3回 大嶋匠・後編
異色の経歴を辿った野球人にスポットを当てる新連載「なんで私がプロ野球選手に!?」。第3回後編は、ソフトボール部からプロ野球選手になった大嶋匠(元・日本ハム)のドラフト会議からの顛末を紹介する。
入団1年目のキャンプでの紅白戦でホームランを放った大嶋匠この記事に関連する写真を見る もし、自分の指名がなかったらどうしよう──。ドラフト候補ならば誰もが抱くような負の感情が、大嶋匠には微塵もなかった。
2011年のドラフト会議は、波乱で始まった。目玉格だった東海大・菅野智之は意中の巨人以外の指名を拒否する姿勢を見せていたが、日本ハムが敢然と1位指名。さらに巨人との抽選の末に、日本ハムが当たりくじを引き当ててしまう。ドラフト会議場であるグランドプリンスホテル新高輪は、けたたましい歓声に包まれた。
早稲田大ソフトボール部監督の吉村正の研究室でドラフト会議を見守っていた大嶋は、まるで他人事のようにテレビ画面を眺めていた。研究室のテレビは地上波しか映らなかったため、2位以降の指名は部員が見つけ出したインターネットでの速報を頼りに経過を追うしかなかった。
日本ハムの4位指名で横浜高の捕手・近藤健介の名前が呼ばれると、吉村が顔をしかめて大嶋にこう告げた。
「大嶋、これでキャッチャーはちょっと難しいかもしれん」
日本ハムスカウトの大渕隆と吉村との間で、「捕手を複数指名するのは難しいかもしれない」というやり取りがあったことを大嶋は知らなかった。
指名は絶望的。それなのに、大嶋は内心「そうなんだ」と軽く受け止めていた。
「ドラフトにかかろうが漏れようが誰も注目しないだろうし、ダメでも『役所に行こう』と思っていましたから。その時点で公務員試験は終わってましたけど、もともとストレートで受かるとは思ってなかったので。臨時職員の応募をしないと......と考え始めていました」
しかし、ドラフト会議は7巡目指名に入って、急展開を見せる。大嶋が最初に目にしたのは、目まぐるしく動くTwitterのタイムラインだった。
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