「こんな状況になるとは...」自ら驚く成長で高校通算70本塁打。恩師たちが明かす日本ハム2位・有薗直輝の魅力
日本ハムからドラフト2位で指名を受けた千葉学芸高校の内野手・有薗直輝。高校通算70本塁打のパワーばかりクローズアップされるが、有薗の魅力はそれだけではない。
「高校に入学した時はこんな状況になるとは思いもしませんでした」
ドラフトを間近に控えたある日、有薗はこう呟いた。中学時代は全国的に目立つような選手ではなかったからだ。
日本ハムから2位で指名された千葉学芸・有薗直輝(写真左)と高倉伸介監督この記事に関連する写真を見る 小学6年時は千葉ロッテマリーンズジュニアに選出されたが、体育の授業中にバスケットボールで右手中指をケガしてしまい大会は控えに甘んじた。中学ではクラブチームの強豪・佐倉シニアで5番を務めたが、本塁打を量産するタイプではなく、1学年上の西川僚祐(現・ロッテ)に比べると見劣りしたと、佐倉シニアの松井進監督は言う。
「中軸を任せていましたが、西川と違って本塁打はあまり打っていませんでした。それに一生懸命ではあったのですが、投手としてコントロールは悪かったですし、打てなくなるとシュンとしてしまうところがありましたね」
当時の有薗は、器用さや精神的な脆さがあった。松井監督は県外の高校への進学を勧めることも考えていたようだが、千葉学芸の高倉伸介監督からの熱心なアプローチが実を結ぶことになる。
「県内志望ということや、投手よりも打者として勝負したいとの情報をつかんだので、勇気を出して松井監督に切り出しました」
勇気というと大袈裟に聞こえるかもしれないが、当時の千葉学芸は県内での野球の実績は皆無で、高倉監督が就任して強化を始めたばかりの新鋭校だった。千葉どころか全国を代表する硬式クラブチームのひとつである佐倉シニアの主力打者が進学することは考えられないことだった。
だが、結果としてその勇気が実ることになる。自宅のある旭市から通えること、小学生時代にマリーンズアカデミーで仲のよかった板倉颯汰が進学することが決まっていたこと、なにより高倉監督の熱意が有薗の気持ちを動かした。
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