大谷翔平の記録はどこまで伸びる? 現地番記者が語る「60-60」の可能性
公式戦の最後まで大谷のパフォーマンスから目が離せない photo by AP/AFLOこの記事に関連する写真を見る
「50-50」という大記録を打ち立てても、その注目度は増すばかりだ。大谷翔平は本塁打と盗塁数をどこまで伸ばしていくのか? 本塁打はすでにドジャースの歴代最多を誇り、1シーズンの盗塁数はイチローの56に迫りつつある。
ここではMLB公式サイトのドジャース番記者に、大谷の歴史的偉業について考察してもらい、これからについて聞いた。
ロサンゼルス・ドジャースの大谷翔平が達成した史上初の「50-50」(50本塁打&50盗塁)はメジャーリーグを震撼させ、そのキャリアに新たな金字塔を打ち立てた。記録に到達した9月19日(現地時間20日)のマイアミ・マーリンズ戦、マイアミでマークした6打数6安打3本塁打10打点2盗塁という尋常でないパフォーマンスは語り継がれていくに違いない。
この記録は、どれほどすごいものなのか。2年前、MLBが行なった牽制球のルール変更に助けられたという声も一理あるのか。それらの疑問を解き明かすべく、MLB.comのドジャース番記者、ファン・トリビオ氏に意見を求めた。
フロリダ出身のトリビオ記者はタンパベイ・レイズの番記者からキャリアをスタートさせ、ドジャース番として今季が4年目。ドジャースのカルチャーを熟知し、2024年は1年にわたってチームと大谷を追いかけてきた地元メディアによる考察は興味深く、その意見には説得力がある。
【シーズンと同じようにプレー】
翔平が「50-50」を達成した19日のゲームは現実離れしていて、ほとんどシュールに感じられた。第1打席に二塁打を放った時点で、彼が絶好調なのは見てとれた。第3打席での二塁打で三塁を陥れようとした際、アウトにはなったけれど、サイクルヒットを意識していたことは明白。そのあたりで、今日は何か特別なものを目撃することになるかもしれないと予感させられた。
49号本塁打が出た時点で、スタジアムの雰囲気はもう最高潮。実は私はもともとマイアミ出身で、ローンデポ・パークにも数えきれないほど足を運んできたが、ワールド・ベースボール・クラシックを除けば、あの球場があそこまでのBuzz(喧騒)と興奮に包まれたのは久しぶりだったと思う。
7回までに大差がついても、マイアミ・マーリンズのスキップ・シューメーカー監督には翔平を敬遠する意思はなかった。そういった流れを見て、もうこの日に「50-50」を達成するのだろうとほとんど確信できた。
19日のゲームに限らず、それ以前から翔平がこの大記録樹立を望んでいることは感じ取れた。「40-40」を史上最速で達成したところで、前人未到の「50-50」に到達するための機会がまだ30試合以上も残っているとすぐに気づいたはずだ。それは人間なら当然の考え方だ。去年のロナルド・アクーニャJr.(アトランタ・ブレーブス)は「40-70」を成し遂げるため(41本塁打・73盗塁)、終盤は盗塁失敗しても気にせずに走りにいっていた。だから翔平も「50-50」に近づいたあたりで、三振や失敗が増えても、本塁打と盗塁を狙いにいったとしても不思議はなかったと思う。
ただ、翔平は決して無理やり(記録を)狙うことはしなかった。「50-50」達成前も、シーズンを通じてやってきたのと同じようにプレーしていたと思う。何よりも特筆すべきはその部分だ。シーズン終盤は本塁打狙い、盗塁狙いになってしまうことを懸念していたファンは、私以外にもいたんじゃないかと思うが、そうせぬままマイルストーン(金字塔)に達したのは、特筆すべきことだったと考えている。
MLBが2年前に牽制球のルールを変更し、ベースも大きくなったことで、盗塁がより容易になったのは事実だ。去年はアクーニャが「40-70」、今年は翔平が「50-50」というとてつもないレコードを生み出した。盗塁のペースは球界全体で上がり、クリーブランド・ガーディアンズのホゼ・ラミレスも「40-40」に近づいている。この傾向が今後も続くとして、これから10年ほどが経過した頃、アクーニャや翔平の記録がどう捉えられているかは興味深いところではある。
1 / 2
著者プロフィール
杉浦大介 (すぎうら・だいすけ)
すぎうら・だいすけ 東京都生まれ。高校球児からアマチュアボクサーを経て大学卒業と同時に渡米。ニューヨークでフリーライターになる。現在はNBA、MLB、NFL、ボクシングなどを中心に精力的に取材活動を行なう