【指揮官と箱根駅伝】帝京大・中野孝行監督を箱根路に誘ったカーラジオの記憶 10人中10番目からスタートした大学時代
国士舘大のランナーとして4回の出場経験のある帝京大・中野孝行監督 photo by Satoshi Wada
連載第3回:指揮官と箱根駅伝/中野孝行(帝京大駅伝競走部監督、国士舘大OB)〜前編〜
現在、箱根駅伝に注力する学校の指導にあたる多くの指揮官は、自身もかつてランナーとして箱根路を走った経験がある。彼らにとって学生時代、そして指揮官となった今では、箱根駅伝はどのような存在なのか。
それぞれの歩みと心境の変化を紹介する本企画の第3回目は、帝京大学駅伝競走部で指揮を執る中野孝行監督。国士舘大では同期で最も遅い持ちタイムからスタートしながら、4年連続で箱根駅伝に出場した。その経験を通して、自身はランナーとしてどのように成長し、そして現在の指導にどのように生かされているのか。
【箱根路に芽生えた偶然と必然】
「本当に偶然だったんです」
帝京大学の指揮を執る中野孝行監督が、初めて箱根駅伝を意識したのは、北海道・白糠高校2年生の時だった。
「トヨタのダイナっていうトラックが家にあって、もう廃車にしていたんですけど、バッテリーが生きていたのでラジオを聴くことができたんです。1月2日の昼すぎ、キーを差して、寝そべってラジオを聴いていました。太陽が出ていたので暖かかったんですよね」
そんなシチュエーションで、たまたまカーラジオから聴こえてきたのが、箱根駅伝の中継だった。
レースは往路の終盤にさしかかっていた。3年連続で5区を任された順天堂大学の上田誠仁(のちの山梨学院大学監督)が先頭を走る場面だった。
「上田さんは2年連続で区間賞を獲っていたんだけど、その年は11月に自転車に追突されて、一時、松葉杖を使うほどのケガを負ったとか......。それで、日体大の大塚正美さんに追われていたのかな。
箱根には行ったこともないし、もちろん走ったこともありません。でも、目に浮かぶような名調子の実況だったんですよね」
実況アナウンサーの描写力に感心しつつも、白熱するレース展開に心を躍らせた。
「その時は2日目があると思っていなかったので、復路の中継は聴いていないんですよね。箱根駅伝って何?って思ったぐらいですから」
箱根駅伝を知ったのは偶然でも、長距離走に打ち込んでいた高校生の中野が、その舞台を目指すようになるのは必然だっただろう。
「本当は、順大に入りたかったんですよね」
当初、中野が憧れたのは、箱根駅伝で常に優勝争いを繰り広げていた順天堂大学だった。しかし、高校時代の中野の実績は、1500m障害でインターハイには進んだものの、5000mでは全道大会の決勝に進むことさえもできなかった。そんな成績で順大から声がかかることはなかった。
ところが、拾う神もあり。
高3の夏、国体の北海道予選で、中野は泥だらけになりながらも5000mを制した。そのレースを国士舘大学の西山一行監督が見に来ていた。
「国士舘は全然考えてもいなかったのですが、これもやっぱり縁ですよね」
このようにして、中野の箱根駅伝への道が切り開かれた。
とはいえ、中野の5000mの自己記録は15分40秒程度で全国ランキングの100傑にも入っていなかった。ちなみに、現在スポーツジャーナリストとして活躍する増田明美さんは同学年だが、その増田さんの高校時代の記録よりも約10秒速いだけだった。10人いた国士舘大の同期の中では10番目と最も遅かった。
一番下から大学生活をスタートした中野は、"もっと上に這い上がりたい""同級生に負けたくない"という一心で練習に励み、めきめきと力をつけていった。
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著者プロフィール
和田悟志 (わだ・さとし)
1980年生まれ、福島県出身。大学在学中から箱根駅伝のテレビ中継に選手情報というポジションで携わる。その後、出版社勤務を経てフリーランスに。陸上競技やDoスポーツとしてのランニングを中心に取材・執筆をしている。

