【新連載】K-1の熱狂のなかにいた佐竹雅昭 空手家を志したきっかけは「光って見えた」ある一冊の本だった
空手家・佐竹雅昭が語る「K-1」と格闘家人生 第1回
自身の格闘家人生を振り返った佐竹雅昭 photo by Murakami Shogoこの記事に関連する写真を見る
現在の格闘技人気につながるブームの礎を作ったのが、1990年代に誕生したアメリカの「UFC」、そして日本で生まれた「K-1」だろう。
立ち技系格闘技の最強を決めるトーナメントとして、1993年4月に開催された第1回「K-1 GRAND PRIX '93 〜10万ドル争奪格闘技世界最強トーナメント〜」。その歴史的な大会の実現、その後の成功は、ひとりの空手家の存在を抜きにしては語れない。その名は「佐竹雅昭」。昭和から平成に時代が移った1980年代後半から空手家として活躍し、さらにキックボクシングに挑戦して勝利するなど、「K-1」への道を切り開いた。
59歳となった現在も、空手家としてさまざまな指導、講演など精力的に活動にする佐竹氏にインタビューを実施。空手家としての人生、「K-1」の熱狂を振り返る連載をスタートする。第1回は、生い立ちや空手との出会いについて。
【ヒーローに憧れた幼少期】
佐竹は、1965年8月17日に大阪府の吹田市で生まれた。幼少期に夢中になったのは、テレビで放送された『ウルトラマン』『ウルトラセブン』など円谷プロダクションが制作した特撮ドラマだった。
「子供の頃は、円谷プロダクションが制作した特撮ドラマの大全盛期でした。当時は、ウルトラマンなどのヒーローはもちろん、怪獣のソフトビニール人形が流行っていました。今の子供たちがスマホで遊ぶような感覚で、僕はソフビで遊んでいましたよ」
ウルトラマンに夢中になった少年は、ヒーローへの憧れが高まっていく。
「アニメもよく見ていて、特に引き込まれたアニメは『巨人の星』『あしたのジョー』『空手バカ一代』といった梶原一騎先生の作品でした。実写では『柔道一直線』も好きでしたね。強い・弱いがハッキリと描かれていて、僕のなかで"ヒーロー思想"が自然と育まれたんです。
そんな思想を抱きながら、怪獣のソフビを手にして空想力フル回転で戦わせて遊ぶ毎日。いわゆる"オタク"でした(笑)。ボクシングにしても空手にしても、アニメで見るのは好きでしたが、自分のことを強いなんて思ってなかったですし、ましてや自分が格闘技をやるなんて想像もしていなかったです。ただ、今思えば、ソフビ遊びによって戦いのイメージが養われていったんだと思います」
1 / 4