憧れは井上尚弥、スタイルはマイク・タイソン−−プロデビューを果たした田中空が描く"小さなファイター"としての理想像
大橋ジム期待の「和製タイソン」との呼び声が高い田中空 photo by Yamaguchi Hiroaki
プロボクサー・田中空インタビュー前編
6月25日、4団体統一世界スーパーバンタム級王者の井上尚弥が在籍する大橋ボクシングジムから注目のルーキー4人組が同日にプロデビューするなか、ひと際異彩を放つハードパンチャーがいた。衝撃の1ラウンドTKOデビューを飾った田中空である。
身長は"モンスター"と同じ165cmながら、主戦場は5階級上のウェルター級(66.68kg以下)。アマ5冠の実績を持つスーパールーキーに、KOへのこだわり、自らが描く将来のビジョンなどを聞いた。
【5.6決戦を肌感しプロデビュー】
5月6日の記憶は、鮮明に残っている。東京ドームで開催された井上尚弥―ルイス・ネリ戦はあまりに刺激的だった。大橋ジムの一員として、リングに向かうチャンピオンの後ろを歩くと、4万3000人が詰めかけた会場の大歓声に圧倒された。田中空は思わず、胸が高鳴ったという。
「勝手にドキドキしていました。こんなにもすごいんだなって。一緒に入場させてもらい、あらためて実感しました。テレビで見るのとは、全然違います。『いつの日か僕も』という気持ちになりました」
大きな夢を抱いた1カ月半後。6月1日で23歳になった田中は、すぐ隣の後楽園ホールでプロキャリアをスタートさせた。第4試合に組まれたウェルター級6回戦。相手は上背が10cm高い韓国同級8位のキム・ドンヨン。控え室を出て、細い階段を上がると、入場からテンションはグッと上がった。会場にはラテン系のダンス・ミュージックが気持ちよく流れている。武相高校(神奈川)時代に憧れた映画『ワイルド・スピードMEGA MAX』のエンディング曲だ。
「プロになれば、入場曲をこれにしたいな、とずっと思っていたんです。当時から友達には『俺はこれで入場するから』とずっと話していました。あの試合当日、応援に来てくれた昔の仲間たちには『本当に流したんだね』と言われました」
入場で羽織っていたノースリーブの白いパーカーは、手芸が得意な母親のお手製。ファストファションブランド『GU』のパーカーを3日、4日かけてリメイクしてもらったという。
わくわくした気持ちのままリングに上がると、わずか68秒で試合を終えた。開始のゴングとともにぐいぐいとプレスをかけ、強烈な左フックから右フックを叩き込み、いきなりダウン奪取。そして、ダメージの色が濃い相手に畳み掛けるように連打を浴びせ、最後は迫力あふれる左フックでレフェリーストップに追い込んだ。リーチ差をまったく感じさせない圧勝。試合直後は「気づけば相手が倒れていた」と話していたが、担当トレーナーでもある父親の強士さんと映像をじっくり見返し、あらためて手応えを感じた。
「よい角度でパンチが入っていましたね。1回目のダウンは練習どおりの形。お父さんから『狙ったパンチでは倒せない』と言われていたので、コンビネーションで倒せたのはよかったです。やっぱり、ボクシングは倒すのが醍醐味なので」
12オンスの厚みがあるアマ用グローブを付けていた頃から小柄なハードヒッターとして鳴らし、アマ戦績は66戦58勝(39RSC)8敗。ストップ勝ちの多さは目を引くばかり。アマ時代からプロで戦うことを意識し、1ラウンドから決着をつける戦い方を貫いてきた。
ただ、プロではアマとの違いをひしひしと感じている。10オンスの薄いグローブで殴った感触は、いまも拳に残る。控え室で井上尚弥から「プロはすぐに手を壊してしまうから気をつけて」と言われた言葉を思い出した。試合前はピンとこなかったものの、「確かに痛める可能性もあるな」と注意を払う必要性を感じた。プロとアマの差は、ケガのリスクだけではない。
「プロのグローブは余計に効くな、と。自分も相手のパンチをもらえば、同じ。怖いし、ハラハラしますが、その駆け引きがまた楽しみになってきました」
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著者プロフィール
杉園昌之 (すぎぞの・まさゆき)
1977年生まれ。サッカー専門誌の編集記者を経て、通信社の運動記者としてサッカー、陸上競技、ボクシング、野球、ラグビーなど多くの競技を取材した。現在はジャンルを問わずにフリーランスで活動。