【ハイキュー‼×SVリーグ】ジェイテクト岩本大吾が挑む「勝ち負け」の世界 ハイキュー‼のあるキャプテンに「勇気づけられる」
ジェイテクトSTINGS愛知 岩本大吾
(連載21:ジェイテクト道井淳平はウシワカに立ち向かう烏野に共感 2m級の左利きセッターは今、関田誠大に学ぶ>>)
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「自分は、悔しさが残らないんですよ」
ジェイテクトSTINGS愛知の岩本大吾(23歳)は、静かな声で言う。
「以前、インタビューの質問で、『今までで一番悔しかった試合は?』というのがあって。全然、思い浮かばなかったんです。その都度、悔しさはあったはずなんです。春高も準決勝で負けているし、大学4年時のインカレは出ていなくて負けたし......。でも、その悔しさは残っていなくて、忘れかけていたんです」
その上で、こう続けた。
「SVリーグ開幕戦のVC長野(トライデンツ)戦の負けが、バレー人生で一番悔しかったかもしれません」
彼は少しだけ唇を噛んだ。
兵庫県の尼崎市に生まれたが、岩本家はいわゆる"バレー一家"だった。父も母も社会人でプレーし、父は今もVリーグの兵庫デルフィーノで部長を務め、妹の沙希も日体大でプレーしている。
ただ、バレーを始めたのは12歳。中学校からと決して早くはない。
「親に『やれ』とも言われなかったですから。会場に見に行ったり、テレビでも見ていたりしていましたけど、自分がやることはなかった。小学校5、6年の時に体験で大人に混じってやったんですが、(レシーブは)痛いし、うまくできない。あまり楽しくはなかったです(笑)」
しかし身長は伸び、中学ではアウトサイドヒッターで、とにかくスパイクを打って成長した。中学3年の冬からミドルブロッカーでプレーし、アンダー世代の代表にも選ばれるようになった。
市立尼崎高校では春高バレーに出場し、早稲田大学ではインカレ3連覇と輝かしい実績があるが......。「学生の時は、上が抜けたから試合に出ていただけですよ」と岩本は言う。
「高校では1年の時は出ていなくて、2個上の先輩たちが卒業してから出られるようになった。大学も(日本代表の村山)豪さんが抜けて試合に出るようになったんです。全日本インカレで優勝した時も、ユニフォームを着られずに外から見ていた。自分は先輩を抜かして試合に出て、結果を残した人間ではなかったんです」
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著者プロフィール
小宮良之 (こみやよしゆき)
スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。