【ハイキュー‼×SVリーグ】日本製鉄堺ブレイザーズ安井恒介は田中龍之介の言葉で気持ちを奮い立たせる
日本製鉄堺ブレイザーズ 安井恒介
(連載11:「音駒推し」のグリーンウイングス道下ひなのが、ミドルブロッカーで「よっしゃー!」と思う瞬間>>)
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「チャラチャラしてそう、とは見られますね」
彼はそう言って、楽しそうに笑う。関西人特有の人懐こさと、ふてぶてしさが同居したようなところがある。
しかしバレーボールとの向き合い方は真摯で、妥協はない。たとえば、気になったスパイクの動画は何度も何度も巻き戻し、再生し、助走や体の向き、腕の角度などをとことん確認する。
「バレーボールが一番楽しかったのはいつか? 間違いなく、今が一番です」
安井恒介は、そう断言する。
バレーを始めたのは中学2年の時だった。トッププレーヤーのなかでは遅いほうだろう。もともとサッカーや水泳で有望な選手だったが、どちらも選んでいない。サッカーでは全国まであと一歩のところまでいったが、「自分のせいで負けた」と自責の念に苛まれ、心がついていかなくなったという。
「そんな時に、幼なじみの2人が『一緒にバレーボールやろう』と誘ってきたんです。サッカーのクラブチームと迷ったんですが、ほぼ強引にコートへ連れていかれて。バレーボールはまったくルールを知らなかったですが、ボールを触ると楽しい気がしました。何より、幼なじみが本気でやろうとしていて、"絶対に勝ちたい"というのが伝わってきたので『一緒にやってみるか』と」
高校は、兵庫県の強豪・市立尼崎高を選択した。同期では一番下手で、ほかの選手たちは何かしらの選抜に選ばれていたが、彼だけは"無印"だった。それでも、全国に行けるチームでバレーボールがしたかったという。案の定、1年時はベンチにも入れず、2年ではリリーフサーバーだったが......。
「レベルが違うのはわかっていたから、"3年間、しっかりやろう"と思っていました」
安井はそう言うが、ミドルブロッカーとして着実に腕を上げた。
「B戦(練習試合。サブのメンバーで行なう2試合目)はめちゃめちゃ出られて、自分が出場した試合は負けなかったです。サッカーをやっていて、"ボール感覚"みたいなものがあったのかも。ボール拾いをしている時も、ほかのミドルブロッカーがひとり時間差で打っているのを見て、『俺にもできるんじゃないか』って自主練しました。興味のないことはどうでもいいんですが、バレーボールはうまくなりたかったから」
3年でチームのキャプテンになった時、「日本一」と目標を豪語した。そして2018年のインターハイ決勝で洛南高校を下し、日本一になった。中2からバレーを始めた選手としては快挙だ。
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著者プロフィール
小宮良之 (こみやよしゆき)
スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。