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錦織圭のプレーになぜ皆、心を惹かれるのか 俳優・石黒賢は「優れた演技を鑑賞した時と同じ興奮」と表現した (3ページ目)

  • 内田 暁●取材・文 text by Akatsuki Uchida

【最後にすべてを持っていく千両役者】

 公式戦さながらに、激しいストロークを交わす両者。その最中に、こんな一幕があった。

 ルーネの柔らかなロブが、錦織の頭上を越える。その打球を追う錦織は「これは、やるしかないか」とでも言いたげな、少しやんちゃな笑みを浮かべていた。そうして見る者の期待どおり、鮮やかな股抜きショットを放つ。さらにはルーネの返球を、片手バックハンドで打ち抜いたのだ。

 練習終了後のオンコートインタビューで、錦織はこのショットに触れ、「さすがに、一球くらいは見せないと」と控えめに笑う。大会前会見で「ファンに見せたいプレーは?」と問われ、「自分が(プレーを)楽しめれば。お客さんの受け取り方はそれぞれでしょうし」と答えていた彼にしてみれば、珍しく他者の視線を意識した発言だ。

 実際には錦織のプレーを見るファンの思いは、「ワクワクする」に収斂(しゅうれん)されるだろう。彼のプレーには、理屈を超えて見る者を惹きつける華がある。

 この錦織の華について思う時、思い出すのは、WOWOWテニス中継のスペシャルナビゲーターであり、日本人初のプロテニス選手・石黒修を父に持つ俳優の石黒賢氏の言葉だった。

 石黒氏はかつて、敬愛する先輩俳優に「手の中に隠した物を、ゆっくり手を広げて見せるように役を演じなさい」と教わったという。一度にすべてをさらけ出すのではなく、玉ねぎの皮を剥くかのごとく、徐々に、徐々に、内面や人間性を表現するのが演技の極意。

 それを踏まえて石黒氏は、「錦織選手のテニスを見た時、優れた演技を鑑賞した時と同じような興奮を覚えた」と言った。

 次に何が出てくるかわからないからこそ、見る者は胸を躍らせる。あのプレーにはどのような意図があったのかと、試合を見たあとに語りたくなる。なかなか手の内を見せず、最後にすべてを持っていく千両役者──。それが、錦織圭の華だろう。

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