錦織圭は少年時代に「忍び込みました」 全仏「赤土コート」の思い出を振り返り、バツが悪そうに苦笑い
上下濃紺のシックなスーツに、胸にはオレンジ色のバラのコサージュ。
スタイリッシュな出で立ちで、錦織圭がプルマン東京田町のイベントホールに現れた訳は、10月16日〜20日に行なわれる『ローラン・ギャロス ジュニアシリーズ by Renault』のアンバサダーだからである。
錦織圭がジュニア時代の思い出を振り返る photo by Kyodo Newsこの記事に関連する写真を見る この大会は、毎年初夏のパリで開催される全仏オープン・ジュニア部門のアジア予選大会。日本をはじめ、中国やカザフスタン、スリランカにイランなど、アジア広域のトップジュニアが東京に集い、男女各ひとつの枠を巡ってしのぎを削る。
全仏オープンを主催するフランステニス連盟(FFT)が、この大会の開催地として日本に白羽の矢を立てたのは、ひとつにはレッドクレー(赤土)コートがあるからだ。都内の第一生命相娯園テニスコートが、その会場。同施設は2年前にFFTと提携し、全仏オープンと同様のコートに生まれ変わった。
そしてもうひとつの理由が、錦織圭の存在である。同大会トーナメントディレクターのアメリック・ラバステ氏は「圭がアンバサダーであることが、参戦者たちにとってどれほど意義深いことか!」と声を弾ませた。
「圭はジュニア選手たちに、メディア対応はどうすべきか、どうやってキャリアを形成していくべきかを話してくれました。それに彼は、すばらしいクレーコートプレーヤー。赤土でポイントを取る方法......たとえば、ドロップショットの有効性なども選手たちに伝えてくれました。彼と過ごす数日間はジュニアたちにとって、キャリアを変えるほどのインパクトがあるはずです」
このラバステ氏の言葉が心からあふれる本音なのは、錦織がジュニア選手たちと触れ合う光景を見ても明らかだ。みんなが錦織に憧れと敬意を抱きながらも、短時間をともに過ごしただけで、友人のような親近感すら覚えている様子。そんな、いい意味で身近に感じられる佇まいもまた、錦織の稀有なキャラクターにして人徳だろう。
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著者プロフィール
内田 暁 (うちだ・あかつき)
編集プロダクション勤務を経てフリーランスに。2008年頃からテニスを追いはじめ、年の半分ほどは海外取材。著書に『錦織圭 リターンゲーム』(学研プラス)、『勝てる脳、負ける脳』(集英社)など。