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【プロ野球】「なぜ3桁の背番号をつけているの?」 日本ハム・山口アタルが語る「127」への思いと日本を目指した原点 (3ページ目)

  • ブラッド・レフトン●文 text by Brad Lefton

【ライトスタンドからイチローを見続けた少年時代】

 そして山口が大きな影響を受けた日本人選手はもうひとりいる。イチローだ。

 山口の故郷であるバンクーバーから国境を越えて南下すれば、シアトルがある。少年時代、マリナーズで活躍していたイチローを見るため、父と何度も球場へ足を運んだ。しかも、父が選んだ席には明確な理由があった。

「いつもイチローさんが守っている真後ろのライトスタンドで見ていました。すばらしい守備力だけじゃなくて、試合への臨み方や姿勢、投球間のストレッチまで、イチローさんのすべてを僕に吸収してほしかったからと、父はその席を選んでいたんです。内野席だったら、バッティングを見られるのは3イニングに1回くらい。でもライトスタンドなら、守っている間はずっと目の前で動いている。すごく勉強になりました」

 父と日本へ里帰りした際には、イチローが少年時代に通っていたことで知られる愛知県の『空港バッティング』にも足を運んだ。

「何歳の時だったかは覚えていないんですけど、野球を始めてまだ数年しか経っていなかったと思います。イチローさんが使っていたマシンの球が、ものすごく速く感じたことを覚えています。確か120キロくらいだったと思うんですけど、『うわっ、イチローさんは子どもの頃からこんな速い球を打っていたのか』って。本当に驚きました」

 ふたりの日本人選手に大きな影響を受けながら、山口のなかでプロ野球選手になるという夢は、少しずつ具体的な目標へと変わっていった。やがて、その視線の先に浮かんだのが、父のルーツでもある日本のプロ野球だった。

 カナダで生まれ、アメリカで野球を続けた山口は、いかにして日本球界を目指し、日本ハムからドラフト指名を受けるまでに至ったのか──。その道のりもまた、決して平坦なものではなかった。

つづく>>

山口アタル(やまぐち・あたる)/1999年5月28日生まれ。カナダ・バンクーバー出身。ブリタニア高からコルビー・コミュニティ・カレッジ、テキサス大タイラー校(中退)へ進み、大学時代は投手としてプレーしたのち外野手に転向。日本球界とのつながりがないなか、自ら12球団にプレー動画を送り、日本ハムなど3球団の入団テストを受験した。2022年育成ドラフト3位で日本ハムから指名され、翌23年に入団。179センチ、95キロの恵まれた体格と高い身体能力を武器に、支配下登録を目指してプレーを続けている。右投右打

著者プロフィール

  • ブラッド・レフトン

    ブラッド・レフトン

    1962年、米ミズーリ州セントルイス生まれ。地元ラジオ局で大リーグ取材に携わった後、92年ミシガン大学で修士号取得。その後、NHKの番組制作に携わるため来日。96年に帰国。現在、日米両国の雑誌やテレビでフリージャーナリストとして活躍中。日本人メジャーリーガーや日本でプレーする外国人選手の取材を積極的に行なっている。

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