江川卓の圧倒的ピッチングの秘密を鹿取義隆が明かす「打者を見極める感覚が研ぎ澄まされていた」
連載 怪物・江川卓伝〜大学時代から知る鹿取義隆の回想(後編)
1978年、巨人は「空白の一日」によりドラフト会議をボイコットした。指名権を放棄した代わりに、ドラフト外で9人もの選手を獲った。そのうちのひとりが鹿取義隆だ。
当時を知る巨人の選手に取材をした際、反射的に江川卓の入団時の様子を尋ねてしまう。それほど日本中を騒がした「空白の一日」の余波は大きく、江川が巨人入団後、どのように過ごしていたのか気になるのだ。鹿取にも聞くと、こんな答えが返っていた。
巨人の守護神として一時代を築いた鹿取義隆(写真右) photo by Kyodo Newsこの記事に関連する写真を見る
【江川ってどんなヤツなんだ?】
「とにかく、ほかの先輩たちから『あいつはどういうヤツなんだ? どんな性格をしているのか?』といろいろ聞かれましたが、『ほんといい人ですよ』とすぐに返していました。江川さんが一軍に上がってきた時にマネージャーから『鹿取、おまえがちゃんと教えてやれよ』と、教育係的なことをやるように言われました。チーム内にはいろいろなルールがあるので、しばらくの間は細かく教えていました。ただ、そんな難しいことじゃないので、見ればわかりますし、すぐに慣れます」
大学時代から対戦している鹿取は、チーム内で江川のことをよく知るひとりだった。
鹿取は大学2年の時、江川らとともに日本代表メンバーとしてアメリカに渡った。練習では江川のキャッチボールの相手をし、ホテルも同部屋だった。休みの日になるとドジャースタジアムに行き、そこでジャンパーを買ってもらうなど公私ともに世話になったこともあり、先輩たちから江川の人間性について聞かれると、鹿取はいいことしか言わなかった。
「あんなことがあって巨人に入ってきたから、『江川って、どんなヤツなんだ?』ってみんな探りを入れてきますよね。それはしょうがないことだと思います。それは王(貞治)さんも同じで、決して江川さんのことを毛嫌いしていたわけじゃない。1カ月もすれば江川さんの人柄もわかってくるし、結果を出していくことで、もう誰も何も言わなくなりましたから」
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著者プロフィール
松永多佳倫 (まつなが・たかりん)
1968 年生まれ、岐阜県大垣市出身。出版社勤務を経て 2009 年 8 月より沖縄在住。著書に『沖縄を変えた男 栽弘義−高校野球に捧げた生涯』(集英社文庫)をはじめ、『確執と信念』(扶桑社)、『善と悪 江夏豊のラストメッセージ』(ダ・ヴィンチBOOKS)など著作多数。