【プロ野球】大谷翔平はなぜ「二刀流」に心を揺さぶられたのか?

  • 柳川悠二●文 text by Yanagawa Yuji
  • 日刊スポーツ●写真 photo by Nikkan sports

 9月19日にはプロ志願届を提出し、勧誘を受けていたアマチュア関係者に断りを入れる。その頃からだ、大谷がメジャーへの夢を熱心に語り始めたのは。

「松坂(大輔)さんや田澤(純一)さんなど、一流選手がアメリカに挑戦する姿を見て、自分もいつかはそういう場所に立ちたいと、小さな頃から目標にして、思い描いていました」

 大谷は「パイオニアとして海を渡る」ことに大きな意義を見出していた。ドラフト上位指名されるような高校生が、ドラフトを拒否してメジャーに挑戦したことは、これまで一例もない。

「誰も成し遂げていないことに挑戦することに意味がある。そしてそれは、口に出して言わなければ実現できないとも思うんです。160キロという目標も、ずっと目標として口にしてきたし、トレーニングルームの壁に紙に書いて貼ったりしていた。公言してきたからこそ、160キロも達成できたと思う」

 晴れやかにアメリカ挑戦を表明したのは、10月21日だった。花巻東関係者や両親は、「国内で結果を残してからでも遅くはないのではないか」と国内を勧めたが、大谷の胸中には「最初から(高校卒業後すぐに)アメリカに行った方が、長くメジャーで活躍できる」という信念があった。周囲を説き伏せ、大谷は初志を貫く。

 だが、その4日後に事態が一変する。日本ハムがドラフトで大谷を強行指名したのである。

 日本ハムの交渉は巧妙だった。ドラフト当日、まずは栗山英樹監督が「申し訳ない」と謝罪。そして「メジャー挑戦表明→日本ハム入団」を決心した場合に大谷への批判が集まらないよう十分に配慮された契約交渉が始まっていく。交渉の過程を明らかにすることで、日本ハムの熱意・誠意を日本球界全体に、そしてファンに伝え、日本ハムに進むことが結果として大谷の夢である「将来、メジャーで活躍する」に、着実なステップアップになることを大谷と彼の両親に説いていく。

 大谷の気持ちを日本ハム入団へ大きく傾かせたのは、高校教師の経験を持つ大渕隆スカウトディレクターを中心に作られた「夢への道しるべ」という小冊子だった。12月12日に球団HPに一部公表されたこのレポートでは、18歳という年齢でアメリカに渡り、ルーキーリーグからメジャーへと昇格していく道がいかに困難であるかを、韓国の選手を引き合いにして説明し、またNPBを経てアメリカで大成した日本人選手がどういう経路をたどったかを提示した。

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