【プロ野球】もうひとつのプロ野球開幕。高津臣吾、43歳の挑戦

  • 大田誠●文 text by Ohta Makoto
  • (C)新潟アルビレックスBC●写真 photo by (C)Niigata Albirex BC

選手兼監督として新潟アルビレックスBCの指揮を執る高津臣吾選手兼監督として新潟アルビレックスBCの指揮を執る高津臣吾 2012年3月20日、季節はずれの大雪で10センチ近くの雪が降り積もった、新潟HARD OFF ECOスタジアム。その室内練習場に鳴り響く打球音を取り囲む、地元テレビ局などの取材陣。その視線の先には、自らの名前を刻んだ特注ノックバットで野手陣に鋭い打球を放つ、あの高津臣吾がいた。

 1996年のオールスターゲームで投手・イチローと対戦した打者・高津以来、バットを握る姿を見た記憶はない。みんなが微笑ましい表情で見つめる中、野球小僧のような笑顔を浮かべバットを振り続けていた高津が照れながら、「振り込んできたからね......ゴルフでだけど」と、いつものように笑いを誘った。

 4月21日、プロ野球開幕から約1カ月遅れて、もうひとつのプロ野球が開幕する。プロ野球独立リーグ、ベースボールチャレンジリーグ(BCリーグ)。新潟・長野・群馬の上信越地区と石川・富山・福井の北陸地区2リーグ6球団による戦いは、まず各地区の前期(36試合)優勝チームと後期(36試合)優勝チームが地区優勝を争い、勝ち残った2チームがBCリーグチャンピオンシップで激突し、リーグNo.1を決する。最後には、日本独立リーグチャンピオンの栄冠をかけ、四国アイランドリーグ優勝チームとの決戦に挑むのだ。

 その中で最も注目を集めているのが、今シーズンから新潟アルビレックスBCの選手兼任監督に就任した高津臣吾43歳。なぜ彼が注目を集めているのか? それは2011年12月19日監督就任会見の席での言葉。

「来年がプレイヤーとして最後の年になるのではないかと考えている」

 これまで数々の苦難に遭遇しても辞めようとしなかった男が、ついに自らの引き際を口にした。

 ヤクルトスワローズ不動のストッパーとして3度の日本一に貢献し、2003年には通算229セーブの日本プロ野球記録(当時)を更新。翌年37歳でメジャーリーグに挑戦、シカゴ・ホワイトソックスとニューヨーク・メッツでストッパーとして活躍した。2006年には、ヤクルトに復帰し日米通算300セーブを達成するが、2007年、球団から戦力外通告を受ける。

 その後2008年は、韓国のウリ・ヒーローズ。2009年は再びメジャーリーグへ。サンフランシスコ・ジャイアンツとマイナー契約を結ぶが、メジャー昇格はならず。2010年には台湾の興農ブルズと契約し、日本人で初めて日本、アメリカ、韓国、台湾4つのプロリーグを経験。そして2011年、新潟アルビレックスBCに入団し、名球会入りの選手として初めて独立リーグでプレイした。プロ野球生活20年、通算363のセーブ数を積み重ねた偉大な投手・高津臣吾が歩んできた道は、波乱万丈という一言では語り尽くすことができない。

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