投手・村田修一が打者専念を決意。松坂大輔と古木克明との対戦で心境に変化
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こんな対決あったのか!
高校野球レア勝負@甲子園
第9回 1998年春、1998年夏
村田修一(東福岡)×松坂大輔(横浜)、古木克明(豊田大谷)
のちに"松坂世代"とくくられることになる高校3年生が、甲子園に足を踏み入れた1998年。東福岡(福岡)の村田修一は、沖縄水産(沖縄)の新垣渚に並ぶ好投手として、九州でその名を知られていた。
高校時代、東福岡のエースとして活躍した村田修一 ストレートの最速は144キロ。現役引退後に出版した書籍『あきらめない。最後の最後まで逆境に立ち向かった「男・村田の流儀」』(KADOKAWA)のなかで、高校時代をこう振り返っている。
「九州ではそれなりに名前を知られたピッチャーだった。普通に投げれば打たれない。同じ学年に新垣渚(元福岡ソフトバンクホークスなど)がいたけど、『速いのは速いけど、コントロールは悪いし』と思っていた」
しかし、甲子園でその鼻っ柱が折られることになる。
春のセンバツ。東福岡は初戦の2回戦に勝てば3回戦で横浜(神奈川)と対戦する組み合わせになっていた。その時、横浜のエースとして騒がれていたのが松坂大輔だった。
いくら前評判が高くても、高校生のうちに完成したピッチャーは多くない。「どれくらいすごいか見てやろう」と村田は思っていたという。しかし、大会3日目の第2試合に臨む前に、第1試合でマウンドに上がった松坂のピッチングをモニター越しに見た瞬間、「なんだ、これっ!?」と衝撃を受けた。
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