100mハードラー田中佑美がオリンピックを振り返る「『怖い』よりも『楽しい』。パリは『自分の大会』だった」
陸上・女子100mハードル
田中佑美インタビュー前編
40人中39番目──。
これがパリ五輪に挑んだ、陸上・女子100mハードルの田中佑美(富士通)のポジション。その舞台への切符は、薄氷を履む思いで掴んだものだった。
それでも、念願の五輪で田中は堂々とした走りを披露した。敗者復活ラウンドを勝ち上がり、先に予選を突破していた福部真子(日本建設工業)とともに準決勝進出を果たした。
記録も、予選が12秒90、敗者復活ラウンドが12秒89、準決勝が12秒91と、3レースすべてで従来の五輪における日本人最高記録を上回った(福部が今大会の予選でマークした12秒85が新たな記録)。
昨年のブダペスト世界選手権は、初めてのシニアの世界大会で「自分のやりたいことが何ひとつできず、悔しさでいっぱいでした。何しに来たんやっていう感じでしたね」と、大きな悔いを残した。だが、今回は「自分のやりたいことができた」と言いきれるほど。世界の舞台で、田中は晴れやかな表情を浮かべていた。
オリンピックを戦い終えた田中に話を聞いた。
◆田中佑美・パリオリンピックを終えて〜「私服」スタジオ撮影オフショット集>>
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田中佑美が五輪後の心境を素直に語ってくれた photo by Sano Mikiこの記事に関連する写真を見る── パリオリンピック、お疲れ様でした。
「ありがとうございます」
── 今回のオリンピックまでの道のりについてお聞きします。6月の日本選手権の決勝レース直後には、一度はパリをあきらめたとも取れるようなコメントがありました。あの時の心境をあらためてお聞かせください。
「日本選手権において自分がやるべきことは、参加標準記録を切ることでした。でも、予選、準決勝、決勝と3本レースを走って、3本とも標準記録を切れませんでした。その後に自分にできることはなかったので、私のオリンピックチャレンジはここで終わったなって思っていました」
── たしかにチャレンジは終わったかもしれませんが、ワールドランキングでオリンピックに出られる可能性はまだ残されていました。
「そうですね。でもオリンピックには、ほとんど『行けない』って思っていました。
(ワールドランキングで出場するための)ポイントを獲得するためにけっこう海外遠征をして、走り終わった直後に私がやることは、まずポイントを計算することでした。なので、ポイントに関しては無駄に詳しくて、自分のポイントはもちろん、自分のランキングの上下にどんな選手がいるのか、だいたいは把握していましたから」
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著者プロフィール
和田悟志 (わだ・さとし)
1980年生まれ、福島県出身。大学在学中から箱根駅伝のテレビ中継に選手情報というポジションで携わる。その後、出版社勤務を経てフリーランスに。陸上競技やDoスポーツとしてのランニングを中心に取材・執筆をしている。