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【平成の名力士列伝:旭天鵬】「モンゴル人力士の先駆者」角界のレジェンドが歩んだ紆余曲折の相撲人生

  • 十枝慶二●取材・文 text by Toeda Keiji


2012年5月場所で、最年長での幕内初優勝を果たした旭天鵬 photo by Kyodo News2012年5月場所で、最年長での幕内初優勝を果たした旭天鵬 photo by Kyodo News

連載・平成の名力士列伝17:旭天鵬

平成とともに訪れた空前の大相撲ブーム。新たな時代を感じさせる個性あふれる力士たちの勇姿は、連綿と時代をつなぎ、今もなお多くの人々の記憶に残っている。

そんな平成を代表する力士を振り返る連載。今回は、モンゴル人力士の先駆者として、20年以上の紆余曲折の相撲人生を歩んだ旭天鵬を紹介する。

連載・平成の名力士列伝リスト

【部屋脱走でモンゴル帰国も1場所全休で復帰】

 平成後半の相撲界は、「モンゴルの時代」だった。朝青龍、白鵬、日馬富士、鶴竜が横綱へと駆け上がり、優勝を重ねた。そんな時代の先駆者となったのが旭天鵬だ。モンゴル初の力士となった6人のうちのひとりであり、関脇にまで上って優勝も経験。長く土俵を務めて「角界のレジェンド」と称された。

 モンゴル・ナライハ市(現ウランバートル市ナライハ区)出身。レスリングやバスケットボールなどに親しみ、父と同じ警察官を目指していたが、17歳のとき、大島親方(元大関・旭國)が開いた力士選考会に出場。1回戦で敗退したが、スラリとした体つきが大横綱・大鵬の若い頃に似ていると大島親方が惚れ込み、合格した6人のひとりに選ばれて来日し、平成4(1992)年3月、初土俵を踏んだ。四股名の「鵬」は大鵬からとった。

 しかし、生活習慣や文化の違いからホームシックに襲われ、同年8月、6人のうち旭天鵬を含む5人が部屋を脱走し、モンゴル大使館に駆け込んだ。親方夫妻の説得でのちの小結・旭鷲山ともうひとりは部屋に帰ったが、旭天鵬はほかのふたりとともにモンゴルに帰国。旭天鵬以外のふたりはそのまま土俵を去ったが、旭天鵬はモンゴルにやって来た大島親方に説得され、再び日本に戻ることを決意。1場所全休しただけで再起の土俵に上がった。

 当時の最大のライバルが、一緒に来日した旭鷲山だ。再来日を決意したのも、大島親方と一緒にモンゴルに来た旭鷲山が大歓迎を受ける姿に発奮したからだった。出世は常に旭鷲山が先。背中を追って稽古に励み、平成10(1998)年1月、23歳で新入幕を果たす。旭鷲山が多彩な技で幕内3場所目に技能賞に輝き、4場所目には小結に昇進したのに比べ、旭天鵬は2度の十両落ちを経験するなど足踏みした。しかし、長身と懐の深さを生かした右四つ寄りの相撲に磨きをかけ、平成12(2000)年1月場所、11勝して初の敢闘賞、平成14(2002)年1月に新小結、同年9月には貴乃花から初金星獲得と着実に力をつけ、平成15(2003)年7月、ついに旭鷲山に先んじて関脇に昇進した。

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著者プロフィール

  • 十枝慶二

    十枝慶二 (とえだ・けいじ)

    1966(昭和41)年生まれ、東京都出身。京都大学時代は相撲部に所属し、全国国公立大学対抗相撲大会個人戦で2連覇を果たす 。卒業後はベースボール・マガジン社に勤務し「月刊相撲」「月刊VANVAN相撲界」を編集。両誌の編集長も務め、約7年間勤務後に退社。教育関連企業での7年間の勤務を経て、フリーに。「月刊相撲」で、連載「相撲観戦がもっと楽しくなる 技の世界」、連載「アマ翔る!」(アマチュア相撲訪問記)などを執筆。著書に『だれかに話したくなる相撲のはなし』(海竜社)。

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