「スポーツへの風当たりが強い状況は残っている」。金メダリスト宇山賢が考えるフェンシング界の今後 (2ページ目)

  • 白鳥純一●取材・文 text by Shiratori Junichi
  • photo by AFP/AFLO

――宇山選手は、高校時代にインターハイ優勝、同志社大学では全日本学生選手権3連覇や、全日本選手権優勝も経験。早くから輝かしい成績を残してきたようにも感じます。

「いえ、大学の時には海外の試合でなかなか思うように勝てなかったこともあって、競技は大学でやめようと思っていました。実際に就職活動をして、フェンシングは続けながらも仕事がメインになっていた時期もあります」

――しかしその後、2015年と2016年のワールドカップで2位に。そこから東京五輪で活躍するまでに飛躍のきっかけがあったんですか?

「3年前くらいに、当時のコーチ陣から『五輪に向けて、プレースタイルを変えてくれないか?』という提案を受けたんです。当時の僕はディフェンスが中心で、得点のほとんどをカウンターから奪うプレーヤーだったのですが、ちょうど伸び悩んでいた時期と重なっていたこともあって。ディフェンスをしながらも、オフェンスを織り交ぜていくプレースタイルを取り入れることになりました」

――オフェンシブなスタイルへの変更は、どのように始めたのでしょうか。

「きちんとアタックを打ちきった時には成功率が高いというデータがあったので、そういうアタックを増やすことから始まりました。積極的な仕掛けは、カウンターを食らうリスクとの隣り合わせでもあるので、ディフェンスとのバランスを取るのがなかなか難しいんです。それでも東京五輪の代表選考が始まる2019年4月頃にはある程度の形になり、安定したプレーができるようになりました」

――これまでのプレースタイルへのこだわりや、変更への不安はありませんでしたか?

「ひと言で『アタックを伸ばす』と言っても、強化ポイントを"潰していく"地道な作業の連続で、さまざまなことに取り組む必要がありました。僕はこれまでの試合の分析、対戦相手の特徴、自分の失点パターンなどのデータと向き合うのが少し苦手なので......。当初は『本当にできるかな』という心配もありましたね」

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