長与千種はアジャコングにとって憧れでありライバル プロレスを続けるきっかけになった「失望のシングルマッチ」も振り返った
■『今こそ女子プロレス!』vol.25
アジャコング スペシャルインタビュー(3)
(連載2:全女に合格した理由を知ってショック 「父がアメリカ人」で受けた差別と、母からの無償の愛>>)
今のアジャコングが「アジャコング史上最高」――。最高のアジャコングはどのようにして生まれたのか? その真相に迫るインタビュー第3回では、プロレスとの出会い、長与千種への憧れなどについて聞いた。
「憧れの存在でライバル」の長与千種について語ったアジャコング photo by Hayashi Yubaこの記事に関連する写真を見る
【空手着のレスラーを応援していた少女時代】
――お母様が格闘技好きで、プロレスは子供の頃からテレビで観ていたそうですね。
アジャ:相撲とかも観てましたし、土曜の夕方5時半は必ずチャンネルが全日本プロレスになっていました。ただ、金曜夜8時の新日本プロレスは観せてもらえなかったんですよ。その時間は母が『太陽にほえろ!』(日本テレビ系)を観ていたので。とにかく、日常のなかに当たり前にプロレスが入り込んでいましたね。
――好きになったのはいつ頃ですか?
アジャ:小学校に入る時に、「女の子なので護身術程度に」ということで、近所の合気道の道場に連れて行かれたんです。そうしたら、合気道の横で空手もやっていて。今は合気道のすごさがわかるので「やっておけばよかったな」と思うんですけど、空手のピシッといく突きとか蹴りが、子供の頃の私にはカッコよく見えたので、母親に「空手を習いたい」と言って始めたんですよね。
同じ時期に、近所にすごく仲のいい5歳くらい上のお姉さんがいたんですけど、日曜日にその子と遊んでいて、「今から面白いものを見せてあげるよ」と言われてテレビを観たら、プロレスのリングで男の人と女の人が歌を歌ってるんですよ。
――男の人と女の人?
アジャ:ビューティ・ペアだったんです。私、ジャッキー(佐藤)さんを完全に男性だと思ってしまって。「なんでプロレスのリングで歌を歌ってるの?」ってお姉さんに聞いたら、「今から女子プロレスが始まるから」って。初めて全日本女子プロレスの中継を観たんですが、ビクトリア富士美さんが空手着姿で出てきたのを見て、「同じ空手をやってる」と富士美さんのファンになったんです。そこから、そのお姉ちゃんと一緒に毎週観るようになって「面白いなあ」となっていきました。
――どういうところが面白かったですか?
アジャ:相撲もプロレスも「男の人だけがやるものだ」と思っていたので、「女の人もやれるんだ」と。しかも、あんなに必死になってすごいなって。私は富士美さんが好きだったんですが、そんなにいつも勝つ方ではありませんでした。自分が負けたわけじゃないのに悔しかったし、それでも立ち向かっていくのを応援していました。
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著者プロフィール
尾崎ムギ子 (おざき・むぎこ)
1982年4月11日、東京都生まれ。上智大学外国語学部英語学科卒業後、リクルートメディアコミュニケーションズに入社。求人広告制作に携わり、2008年にフリーライターとなる。プロレスの記事を中心に執筆し、著書に『最強レスラー数珠つなぎ』『女の答えはリングにある』(共にイースト・プレス刊)がある。