社長・棚橋弘至は1・4からの引退ロードも超ハード 「やめないで」と言われたら「来年もやりますと言ってしまうかも(笑)」
棚橋弘至インタビュー 中編
(前編:選手と社長の「二刀流」 また新日本プロレスを救えるのか?「V字回復させる自信がある」>>)
新日本プロレスの社長、現役プロレスラーとしても活躍する棚橋弘至。旗揚げから50年を超える団体の伝統を受け継ぎつつも、時代に合わせた変化を柔軟に取り入れる姿勢で、新たなプロレスの魅力を生み出そうとしている。観客層の拡大、引退後のプロレスラーのセカンドキャリア、そして自身の「引退ロード」などについて聞いた。
新日本プロレスに必要な変化、自身の引退ロードについて語った棚橋弘至 photo by Murakami Shogoこの記事に関連する写真を見る
【2000年代の低迷期に行なった、新規ファン獲得のための変化】
――前編で、アントニオ猪木さんとアンドレ・ザ・ジャイアントさんの試合のような"語り継がれる試合"の話が出ました。新日本プロレスが受け継いでいく伝統と、時代によって変化させるべきものについて、どのようにお考えですか?
「以前、100年以上続く長寿企業のパーティーに参加させていただいた際に、『長寿企業の秘訣』を教えていただきました。ひとつ目は、製品やプロダクトがしっかりしていること。ふたつ目が、会社の方針が明確であること。そして3つ目が、時代の変化に柔軟に対応すること。特に、3つ目が重要だと感じています。
新日本は(2000年代に)低迷した時でも、ひとつ目とふたつ目の要素はあったんです。選手が揃っていて、道場での練習もしっかりやっていました。ただ、時代の変化に対応する部分で遅れていたので、ビジネスが低迷した。だから、当時僕が取り組んだのは、3つ目の"時代の変化に柔軟に対応すること"だけだったんです」
――具体的にはどのように対応したんですか?
「コスチュームを派手にして、見た目をチャラくして、SNS発信やテレビ出演を積極的に行ない、新たなファン層を獲得しました。今後、そこに気づける選手が出てくると、ビジネスを広げることができると思います」
――棚橋さんがV字回復を実現された時期、新日本のファン層が大きく変わった印象があります。
「明らかに変わりましたね。昭和のプロレスを愛する層も大切ですが、それに加えて新しいファンが入りやすい環境を作ることができたと思います。それまでは、『プロレスを詳しく知らないと、会場に観に来てはいけない』という雰囲気があったのですが、そのハードルを下げて、『誰でも気軽に観に来てください』というメッセージを打ち出しました。その結果、女性ファンが増えて、家族連れも増えて、プロレスがファミリーコンテンツとして受け入れられるようになったと思います」
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