【平成の名力士列伝:武蔵丸】大相撲の美徳を貫き続け横綱に上りつめた「角界の西郷隆盛」
現在も親方として大相撲の精神を伝え続ける第67代横綱・武蔵丸 photo by Jiji Press
連載・平成の名力士列伝25:武蔵丸
平成とともに訪れた空前の大相撲ブーム。新たな時代を感じさせる個性あふれる力士たちの勇姿は、連綿と時代をつなぎ、今もなお多くの人々の記憶に残っている。
そんな平成を代表する力士を振り返る連載。今回は、大相撲の美徳を貫き続け、第67代横綱の役割を全うした武蔵丸を紹介する。
連載・平成の名力士列伝リスト
【パワー+バランスで幕内55場所連続勝ち越し】
平成前半の相撲界は、空前のブームに沸き立った。当時、若乃花と貴乃花の「若貴兄弟」に対抗し、曙とともに「ハワイ勢」の一翼を担ったのが武蔵丸だ。がっしりした体格や、眉毛が太く、大きな目の風貌から、人呼んで「角界の西郷隆盛」。外見だけでなく、辛抱や我慢という美徳を備え、周囲から厚い信頼を得た、幕末の維新の志士のような名横綱だった。
アメリカ領東サモアに生まれ、6歳でハワイに移住。高校時代はアメリカンフットボールの花形選手として活躍し、レスリングも経験したあと、元横綱・三重ノ海の武蔵川部屋に入門した。
平成元(1989)年9月に初土俵を踏むと、負け越し知らずで一気に番付を駆け上がり、6(1994)年1月場所後に大関昇進。同年7月に全勝で初優勝を達成した。
ハワイの先輩である大関・小錦や曙と同じく、大きな武器はパワフルな突き押し。先輩たちは足腰が弱く、イナされて転がるモロさがあったのに対し、武蔵丸は均整が取れ、右四つの相撲も早くから身につけた。丸太のような右腕を差して返すと、相手の体はフワリと浮き上がった。
バランスの良さが成績の安定にもつながり、幕内連続勝ち越し55場所は、今も史上1位だ。その反面、ここぞというところで気持ちの優しさが顔を出し、横綱昇進の機を何度も逸したが、平成11(1999)年3月、5月と連続優勝して横綱に昇進。横綱2、3場所目の9月、11月と再び連続優勝して、平成11年は6場所中4場所優勝と圧巻の強さを見せた。
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著者プロフィール
十枝慶二 (とえだ・けいじ)
1966(昭和41)年生まれ、東京都出身。京都大学時代は相撲部に所属し、全国国公立大学対抗相撲大会個人戦で2連覇を果たす 。卒業後はベースボール・マガジン社に勤務し「月刊相撲」「月刊VANVAN相撲界」を編集。両誌の編集長も務め、約7年間勤務後に退社。教育関連企業での7年間の勤務を経て、フリーに。「月刊相撲」で、連載「相撲観戦がもっと楽しくなる 技の世界」、連載「アマ翔る!」(アマチュア相撲訪問記)などを執筆。著書に『だれかに話したくなる相撲のはなし』(海竜社)。