セリエAから消えた日本人。カズに始まり、
中田英寿が道を切り開いた
セリエA日本人選手20年の系譜(1)
「日本人もサッカーをするのかい? 相撲だけじゃないのか? 日本にもサッカー選手はいるの? ああ、ホリー(翼)とベンジ(若林)か」
イタリアでサッカーを見るようになった80年代後半、スタジアムに行くと、よくそうからかわれて、悔しい思いをしたものだった。当時のイタリアサッカーは世界最高峰、かたや日本にはまだプロリーグもなく、W杯出場も夢のまた夢の状態だったのだから、それも無理はない。この国で日本人選手がプレーする日が来るのだろうか? ディエゴ・マラドーナやマルコ・ファン・バステンが活躍するピッチを見ながらそう思っていた。
1998年、ベルマーレ平塚(現湘南ベルマーレ)からペルージャに移籍した中田英寿 だが、そのチャンスは意外と早く来た。Jリーグが発足した翌年の1994年、カズこと三浦知良がジェノアに加入し、アジア人初のセリエAプレーヤーとなったのだ。
「ジェノバは港町で、昔から交易で生計を立てていたから、ジェノバ人は金にうるさい――平たく言えばケチなことで有名だ。だからジェノアが名前も知らないような日本人選手を獲得すると聞いたとき、多くのイタリア人はニンマリと意味深な笑いを浮かべたもんだよ」
そう語るのは、70年代からイタリアのスポーツ紙の記者を務めるパオロ・フォルコリン氏だ。
「ジェノアの当時の会長(現在はリヴォルノの会長)アルド・スピネッリは狡猾(こうかつ)な人物で、三浦の移籍金はすべて日本企業のスポンサーに払わせた。彼がピッチに立つたびに、スピネッリのポケットに金が入ることになっていた。
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