【自転車】片山右京「欧州の一流チームに勝つためには」 (3ページ目)

  • 西村章●構成・文・写真 text & photo by Nishimura Akira

「正直なことをいえば、我々はまだ、このレースで優勝を狙えるような実力ではありません。今の自分たちにできる仕事は、できるかぎり序盤からトップを走行して存在感をアピールし、山岳賞を獲ること。その意味では、狙いどおりの展開になりました。選手たちはとてもよく戦ってくれたと思います。しかし、今回の結果は、あくまでも通過点のひとつに過ぎません。

 次の目標は、このようなレースで勝つためにどのようなチーム作りをしていけばいいか、ということ。欧州の一流チームに勝つための体制・組織作りの準備を進めなければならない。来年の今ごろはプロコンチネンタルの書類申請をできるように、少しずつ着実に前進していきたいと思います」

 このレースの翌週10月25日には、「ツール・ド・フランスさいたまクリテリウム」が、さいたま新都心で開催された。ツール・ド・フランスを興行するA.S.O.が共催者として全面的に協力するこのイベントは、昨年に第1回を実施。その年度のツール優勝選手や山岳賞、ポイント賞獲得選手も参加し、本場のツールにも劣らない華やかな顔ぶれが集まる。今年は総合優勝のヴィンチェンツォ・ニーバリ(イタリア/アスタナ・プロチーム)、山岳賞のラファウ・マイカ(ポーランド/ティンコフ・サクソ)、ポイント賞のペーター・サガン(スロバキア/キャノンデール・プロサイクリング)らが来日し、20周の特設コースで本番さながらの激しい戦いを繰り広げた。

 国内勢では、ジャパンカップにも参戦したチームを含む全8チームが参戦。TeamUKYOからはキャプテンの狩野智也、窪木、山本、湊諒(みなと・りょう)の4名が参戦した。レースは、終盤に別府史之と新城幸也が集団から飛び出す展開に。沿道を埋め尽くした大勢のファンから大きな声援が飛んだが、最後はチーム・ジャイアント・シマノのマルセル・キッテル(ドイツ)が優勝を飾った。

 今年で2回目となったこのイベントは、本場フランスの雰囲気をまるごと移植してきたレースとして、多くの日本ファンを魅了した。しかし、TeamUKYOの目標は、さいたまでこの雰囲気を愉しむことではない。むしろその逆で、自分たちがフランスの本家に乗りこんでいかなくてはならないのだ。そのためにまず必要なことは、プロコンチネンタルチームとしてUCI(国際自転車競技連合)に登録されることだ。ジャパンカップ終了直後に片山が語ったように、はたして来年の今ごろ、彼らはその足がかりを掴んでいるだろうか。

(次回に続く)

プロフィール

  • 片山右京

    片山右京 (かたやま・うきょう)

    1963年5月29日生まれ、神奈川県相模原市出身。1983年にFJ1600シリーズでレースデビューを果たし、1985年には全日本F3にステップアップ。1991年に全日本F3000シリーズチャンピオンとなる。その実績が認められて1992年、ラルースチームから日本人3人目のF1レギュラードライバーとして参戦。1993年にはティレルに移籍し、1994年の開幕戦ブラジルGPで5位に入賞して初ポイントを獲得。F1では1997年まで活動し、その後、ル・マン24時間耐久レースなどに参戦。一方、登山は幼いころから勤しんでおり、F1引退後はライフワークとして活動。キリマンジャロなど世界の名だたる山を登頂している。自転車はロードレースの選手として参加し始め、現在は自身の運営する「TeamUKYO」でチーム監督を務めている。

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