【根本陸夫伝】王貞治を「ラーメン屋のせがれ」と言い放った男

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • 小池義弘●写真 photo by Koike Yoshihiro

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根本陸夫伝~証言で綴る「球界の革命児」の真実
連載第41回

証言者・森脇浩司(2)

今年6月に成績不振を理由に休養することとなった前オリックス森脇浩司監督今年6月に成績不振を理由に休養することとなった前オリックス森脇浩司監督

 1993年、新たに根本陸夫が監督に就任したダイエー(現・ソフトバンク)だったが、チーム成績は前年4位から下がって最下位。福岡ドーム元年を好成績で飾ることはできなかった。それでも実質的にGM兼任の根本は、指揮を執りながらチームを観察して課題を把握。オフには、戦力補強と選手の入れ替えに自ら動いた。とりわけ、チームリーダー役として、西武から秋山幸二を獲れたのは大きかった。
 投手陣には課題が残っていた半面、打線強化が奏功し、94年は69勝60敗1分、勝率.534で4位に浮上。そして10月8日、シーズン最終戦の後、根本は自らの監督辞任と王貞治の新監督就任を発表した。その経緯を一選手として見ていた森脇浩司は、前年に比べてスタメン出場が激減。「現役選手としてはもうこのあたりまでだろう」と考えていた。森脇が当時を振り返る。

引退会見の後、根本からパソコン購入を命じられる

「根本さんの場合、監督としては明らかに、次の人にバトンを渡すためにチームをどのようにしておくか、ということに徹してらしたと思います。そうして、ある程度、形ができたら、『オレじゃなくて勝てる監督を呼んでくる』と。そして王さんを招聘されて、ご自身は現場をサポートする立場に移られた。それからの僕は同じように根本さんから学び、王さんから学び、という日々でしたね」

 浮上が期待された95年は、逆に5位と下降。西武から加入した工藤公康が12勝を挙げたが、それ以外に2ケタ勝利投手は現れなかった。攻撃面は外国人補強の失敗があり、王が独自に編成したコーチ陣にも問題があった。さらに、その翌年は最下位。ファンの失望は怒りに変わり、グラウンドに発煙筒を投げ込んだり、王はじめ選手が乗るバスに生卵をぶつける者まで出てきた。

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