川崎フロンターレが獲得した「ファン・ウェルメスケルケン際」とは、どんなプレーヤーなのか? (2ページ目)

  • 中田 徹●取材・文 text by Nakata Toru

【12歳の際はオランダのサッカーに衝撃を受けた】

 続く1月17日のゴー・アヘッド・イーグルス戦(2-1)でフル出場した際は、30メートルの左足ボレー弾をゴール右上に突き刺した。このシーン映像にSNSでは「2024年のプスカシュ賞(FIFA選定年間スーパーゴール)は際のゴールで決まりだ!」と大きな騒ぎとなった。

 オランダ生活11年間で1部リーグ、2部リーグ、KNVBカップを合わせて合計5ゴールと、際は決して得点数の多い選手ではない。だが、そのすべてが記憶に残る鮮やかなものだ。しかも左足で決めた3ゴールは、どれもスピード、変化、破壊力があった。2022年のカンブール時代にPSVを3-0で倒した時の右足シュートも記憶に新しい。

「決まる時は、いいゴールしかないですね。NECは自分が12歳の時に2週間ほど練習参加させてもらったクラブなんです。ドルトレヒトで(プロ生活が)始まって、今はNECでこういうゴールを決められて、ほんとにオランダでがんばってきてよかったと思います」

 NECと際の縁は、12歳の夏休みまでさかのぼる。オランダ人の父、日本人の母を持つ際は、オランダ南部のマーストリヒトで生まれ、2歳の時に山梨に越した。

「一度、自分が生まれた国を見ておいで」と両親に言われた際は、12歳の時に2週間、NECとドルトレヒトの練習に参加した。ドルトレヒトが街クラブなら、NECはまさにプロサッカークラブのオーガニゼーションだった。

 当時、際が所属していた八ヶ岳グランデFCは個人スキルを伸ばすブラジル式サッカーだった。しかし、オランダではドリブルをしないでパスでボールを運ぶサッカーだった。

 最初は「これは自分のサッカーと違うな」と感じたが、「このサッカーは面白いな。自分には伸びしろがある。日本に帰りたくないな」と思うようになっていった。やがて際は、ヴァンフォーレ甲府のアカデミーでパスサッカーを学んだ。

「オランダでまたサッカーをしたい」という熱い思いは、高校を卒業する18歳になっても冷めることはなかった。際は自身のプレー集映像をオランダの各クラブに送り、真っ先に返信をくれたドルトレヒトへの入団を決めた。それが2013年夏のことだった。

2 / 5

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る