焼肉屋の店員から球界に復帰。2000年の阪神ドラ1、藤田太陽の今 (3ページ目)

  • 和田哲也●文・写真 text&photo by Wada Tetsuya

――そのときの周囲の反応は?

「まだトミー・ジョン手術が日本で広く知られる前だったので、『なんでアメリカ行くんだ?』って言われました。僕自身、手術の内容については知らないことが多かったので、驚きの連続でしたね。

 日本では手術後に肘を固定する期間が長いんですが、アメリカでは2週間ぐらいでリハビリを始めるんですよ。肘に移植する靭帯を手首から取ることで、曲がったままになった指を伸ばすことから始まるんですけど、これが激痛なんです。口にタオルをくわえて抑えつけられながらやってました。当初はリモコンを押すのもひと苦労で、投球できるようになるまでかなり時間がかかりましたね」

――そんな苦労を経てチームに戻った後も、阪神時代はなかなか出場機会に恵まれませんでした。

「2軍でどんなに好成績を残しても、当時の1軍にはJFKっていう盤石の投手陣がいましたからね。異常なくらい注射を打って、腕を下げるフォームにしたり興味持ってもらえるようにいろんなことやったんですけど、結果的には何も変えられませんでした。

 いろいろありましたけど、厳しさを教えてくれたのも阪神でしたから、活躍して恩返しがしたかった。でも、プロなら自分を必要としてくれるところで投げたいという思いが芽生え始めて、自らトレードの打診をしたんです」

3 / 6

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る