土居美咲が能登の被災地で考えた「アスリートとしてできること」 現役引退後、小型重機の免許を取得 (3ページ目)

  • 土居美咲●取材・文 text by Doi Misaki

【自分の経験は本当にちっぽけだと思った】

 最初は様子を見ながら参加していた子どもたちも、徐々に緊張がほぐれてきて、自然と笑顔があふれてきます。子どもたちが楽しんでいる様子を見て、避難所で生活している方たちやボランティアで来られている方たちも、最後には一緒に参加して、和気あいあいとした空気になりました。

 先生方にも「こんなにも生徒が楽しそうに、笑顔があふれて大声を出している様子を久々に見ました」とおっしゃっていただきました。

被災した高校生たちにはアスリートとしての経験を伝えた photo by 日本財団HEROs被災した高校生たちにはアスリートとしての経験を伝えた photo by 日本財団HEROsこの記事に関連する写真を見る この楽しい空間がある一方で、窓の外を見れば、全壊した家屋や土砂崩れによって通行止めになった道路、傾いた信号機や電信柱など、ありとあらゆる物が大きな被害を受けていて、言葉もありません。

 最後にお別れの時、男の子から「地震で怖い思いをしたけれど、今日一緒に身体を動かして一気に吹っ飛びました」と言ってもらいました。

 この言葉にあらためて、地震のすさまじさを実感しました。この後も続く大変な生活のなかで、短時間ではあるものの、私たちと過ごした時間をキッカケに、少しでも前向きになってもらえたらうれしいです。

 2日目は高校へ。こちらでは少しのアクティビティをしたあとに、高校生に向けて困難の乗り越え方や考え方など、アスリートとしての経験談を伝える役割を担いました。

 自分は被災経験がないなかで、何をどう伝えればいいのか、正直すごく悩みました。実際に足を運び、現実を目の当たりにして、自分の経験は本当にちっぽけだと思ったのも事実です。それでも、子どもたちが少しでも前向きになれる時間が作れればと思い、次のような話をさせていただきました。

 テニス選手は基本的に、コーチを雇うのも、どの大会に出るかを判断するのも、すべて自分。そのなかで私自身、大きな決断を下さなくてはいけない場面もいくつかありました。若い頃はほとんど英語もできず、ひとりで遠征している時に海外で負けが続くと、不安に押し潰されそうになることもありました。それでも夢や目標があったからこそ、逆境でも突き進めた──そのような経験を、気持ちを込めて伝えました。

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