土居美咲が能登の被災地で考えた「アスリートとしてできること」 現役引退後、小型重機の免許を取得 (2ページ目)

  • 土居美咲●取材・文 text by Doi Misaki

【金沢から毎日片道3〜4時間かけて能登半島へ】

 初めはどのくらいの規模の被害なのかも定かではないなか、徐々に状況が明らかになってきます。ある意味、日本にいたからこそ、ダイレクトに知る出来事だったのかもしれません。

 被災地から、HEROsに「子どもたちと一緒にスポーツ交流や座談会をしてほしいという」リクエストが届いたのは、2月上旬のことです。

 これまでは災害が起こった時に、大変な現状をニュースなどで見聞きしても、「どのように支援すればいいのだろう」と、わからない部分がたくさんありました。チャリティや寄付は思いつくものの、このように現地に入るまでには至らなかったことも多くありました。今回、引退のタイミングで時間にも余裕ができたことで、HEROsの取り組みでアスリートとして災害支援ができるという点に、大きな意義を感じました。

避難所の体育館でテニスを通して子どもたちと交流した photo by 日本財団HEROs避難所の体育館でテニスを通して子どもたちと交流した photo by 日本財団HEROsこの記事に関連する写真を見る HEROsによる現地支援活動が先行して行なわれていたなか、私が能登半島に入ったのは2月27日でした。私たちの拠点は金沢。現地は普通の生活もままならない状態のため、もちろん私たちが泊まれる場所はありません。拠点の金沢から毎日片道3〜4時間かけて、能登半島へ向かいました。

 現地に入ってみて実際に見てみると、とにかくありとあらゆる物が壊れていて、正直、何から手をつければいいんだろう、というのが最初の印象。それくらい、街全体が見るも無惨な姿になっており、やはりニュースで知ることと、実際に見ることでは感じ方が違いました。

 1日目は小・中学生の学校訪問。体育館などが避難所となっているケースも多く、子どもたちは非常に限られたなかで生活しています。

 学校には地元の方々が多く出入りをしていて、炊き出しも学校の一室を使っているため、子どもたちの運動するスペースや時間が削られているのが現状です。そのなかで私たちアスリートは、狭いスペースでもできるアクティビティなどをレクチャーし、子どもたちと交流する時間を過ごしました。

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