J Footballその他

[2012年02月12日(日)]

【JFL】日本サッカーを救った男・我那覇和樹のリスタート。
「やりきる自信が出てきた」

  • 木村元彦●取材・文 text by Kimura Yukihiko
  • photo by Kimura Yukihiko

現在、故郷の沖縄にあるJFLのクラブ、FC琉球でプレイする我那覇和樹。今季はJ2昇格を目指す
 拙著『争うは本意ならねど』を出した後、中身を読んでいない編集者などから「なぜ、今、我那覇を書くのか」とよく聞かれた。憚(はばか)りながら、と前置きしてシンプルに答える。サッカーに携わる人たちに知って欲しい事実がそこにあるからです、と。

 あなたが、サッカー協会に登録されているプレイヤー(プロは言うに及ばず、18歳以下の第2種、15歳以下の第3種、12歳以下の第4種、女子サッカー、40歳以上のいわゆるシニア層、もしくはフットサルに興じる個人登録もすべて含む)なら、ちょうど4年前の今頃を思い起こして欲しい。

 2008年の2月1日から、4月までの間にケガや持病の治療のために手術や静脈注射をした方は日本中に何人くらいいるだろうか。なぜ、こんなことを問うのか。それは当時、日本サッカー協会内でとんでもない医事規程変更(JFAドーピング新規定発効)が行なわれていたからである。

 結論を言うと、この3カ月の間で上記の治療を受けた方たちは医師も本人も知らないうちに全て潜在的なドーピング違反者にされていたのである。

 当時のJFA医学委員長はこの2008年2月1日から、FIFAのドーピング規定にもFIFAが受け入れているWADA(世界アンチドーピング機構)の規程にも無い世界でも稀(まれ)なローカルルールを発効したのである。

 その内容は「日本サッカー協会に登録する全ての選手に治療から48時間以内に診断書およびTUEの提出の義務」というものであった。「TUE」をご存知だろうか。ドーピング規程に引っかかる禁止薬物や禁止方法を選手がどうしても治療のために使用せざるをえない場合に、事前に申請し承認を受ける除外措置のことである。

 これは本来、FIFAの国際大会に出場し、ドーピングテストを受けるようなトップレベルの選手が対象となるものである。ところが、かような特殊な措置を医学委員長はJFA全登録者、すなわち小学生、中学生、高校生、女子、フットサル、ビーチサッカーの全選手に義務化してしまったのである。

 JFAの登録者数は推定で約100万人弱と言われているが、果たして何人がこの事実を知っていたのか。いったい何人が治療を受けたあとにTUEを提出しただろうか。否、それ以前にTUEの存在を知っていただろうか。私が手当たり次第に聞いた協会関係者も学校の校医も誰ひとりとして知らなかった。地方のサッカー協会長などは絶句するばかりであった。

 しかし、当時の規程ではこの場合、第4種に属する小学生も48時間以内にTUEを出さなければ、ドーピング違反にされたのである(事実、ドーピングコントロール委員会では「子どもでもドーピングになる」という説明がなされていた。この場合、治療した学校や小児科の医師などもドーピング幇助で永久追放になる)。

 Jリーグのチームドクターたちの働きかけで、さすがにこの規定は3カ月で改正されるのであるが、Jリーグの選手たちはJFAがJADA(日本アンチドーピング機構)に正式加盟する2009年1月まで依然、このローカルルールを義務付けられていたのである。

 これなどはほんの一例である。その間のサッカー界における医療の混乱は極めて大きかった。

 当時、医学委員長は2007年に正当な医療行為を受けた川崎フロンターレ(当時)の我那覇和樹選手を、規定を誤って適用しクロと裁定していた。自らがクロと裁定した判例を正当化するために、詭弁と詐術を弄し、さらにはそれを補完するようなローカルルールを発効していったのである。

 その状態はドーピングコントロールでは最も進んだ日本の陸上競技のアンチ・ドーピング委員が「サッカー界のドーピング規程はまるでガラパゴスだった」と嘆くほどに、世界標準から遊離していたものだった。結果、当時はJリーガーとドクターたちがドーピング冤罪の恐怖に晒されて正当な治療を行なえず、手遅れになりそうな選手が続出したのである。

 渦中にあった我那覇は、誰からも真実を知らされなかったが、そのことを一通の手紙で知ったとき、立ち上がった。

 彼が何千万円もの私財を投じ、他の選手を巻き込まずにたったひとりでCAS(国際スポーツ裁定裁判所)に提訴をしたのは、自身の名誉のためだけではない。こんな被害は自分だけで食い止めなくてはいけないという思いだった。結果、我那覇がCASで勝った意味はとてつもなく大きかった。

 先述の委員長は「国際大会で点滴の道具を持っていただけでドーピング違反」とも(公的な事情聴取の場で)発言していた。ならばW杯で日本代表選手だけが、体調を崩しても点滴治療ができず、試合どころではなかった。もしも我那覇が立ち上がっていなかったら、JFAの正当な医事改革は行なわれず、代表の南アW杯の決勝トーナメント進出もなでしこジャパンの世界一も成し遂げられていなかったかもしれない。

 その意味で我那覇の行ないはW杯でゴールを決めるよりも崇高な貢献であった。

 結果的に選手の人権と健康を守り、日本サッカーを救った男は、現役選手として故郷・沖縄で前を向き続けている。我那覇はCAS裁定以降、一切、事件については口を閉ざしてきた。後悔の言葉も、いわんや誰かを批判するようなことも微塵も言わない。選手としてピッチの上で支えてくれた人たちに恩返しをするという彼の意思を尊重し、この物書きはピッチの上の彼を伝えるものである。

――年明けのコンディションはどうですか。
「1月18日のチーム始動日に合わせてすぐに動けるようにトレーニングしてきました。学校に子どもを送ってそこで車を降りて走って帰ってくるとか。今、住んでいるところは実家まで7キロほど離れているんですが、(長男の)琉偉と一緒に走って来ました。母校の新年の初蹴りも行きましたよ。OBはあまり会えなかったんですが、先生と子どもたちには会えました。楽しかったです」

――去年は足首の故障もありましたが、久々にフルシーズン出続けました。
「そうですね。6試合休んだ以外はフルで久しぶりに出場できたので、感覚は戻ってきました。試合に出続けたことは大きかったですね。夏場は正直しんどいときもありましたが、あとは慣れてきました。(ヴィッセル)神戸時代はフィジカルも落ちていましたからね。練習試合と本番の試合はだいぶ感覚も違いますから。それはもちろん、僕の実力不足なんですが。JFLというカテゴリーで戦うことの難しさが分かってきたので、やりきる自信も出てきました。僕のサッカー人生の中で、ここのカテゴリーで戦えたというのは将来、絶対プラスになると思います。とにかく沖縄の場合、移動が飛行機しかないので、きつかったですね。長野は羽田からさらにバスで4時間とかかかりますから」

――琉球は経験の豊富な選手が多いので戦術が同じ方向に意思統一されると、はまると思うのですが、今年はそういった自身のスタイルのマイナーチェンジも考えていますか。
「(松田)監督がどういうサッカーをするかまだ分かりませんが、足元だけじゃなくて裏に抜けるプレイなんかも心がけていきたいですね。まずはゴール。自分が取れなくてもチームが勝つことが大事です。ただFWである以上、ゴール数だと思うんですね。貪欲に行きます。1試合の平均シュート数が少ないので1試合5本以上は打ちたいですね。これからは、少しはエゴを出していきます(笑)」

――環境的に厳しいJFLで1年をやり切ったところで自信も回復してきた。
「90分通してほぼ出られたので体力的にも良いし、コンディション的にも良いです。神戸時代も試合に出られないのは悔しかったですが、無駄な時間ではなかったです。学ぶところが多かったですから。FWじゃなくて、サイドハーフ、(2列目の)3枚の右、サイドアタッカーなんかをやらせてもらっていたので味方の心理が分かりました。サイドは前を向いてボールをもらえるので楽しかったですし、クロスの動き出しのタイミングとか、すごく勉強になりましたね」

――では今季はコンデティションが上がって実質的なリスタートでしょうか。もう一度、Jの舞台で我那覇選手を観たいというのは多くの人が思っている。目標に掲げるものは何でしょうか。
「チームとしてのJ昇格が大きいですね。それには沖縄県民の後押しがないと厳しいので、僕らはそうしてもらえるように結果を出していきたいです。沖縄の選手は身体能力が高いというのはスカウトの方も言われるんですが、見てもらう機会が少ないので、どうしても県外に出てしまうケースが多いですからね。そのためにも僕らFC琉球が昇格してあとの世代に道筋を作ってあげることが使命かと考えています。そうしたら、才能のある子どもたちも県外に出ずにFC琉球を目指してくれると思うんです。僕はチームの勝利に貢献できるゴールをたくさん取ってカテゴリーを上げたいですね」

 
 2月6日、FC琉球は我那覇和樹を新キャプテンとしたことを発表した。松田岳夫監督の指名であるという。この我那覇を永井秀樹と寺川能人、そして高橋駿太が副キャプテンとしてサポートする。翌7日、FC東京とのトレーニングマッチに出場した我那覇は45分、45分、30分の変則マッチの2本目の途中まで出場。試合は天皇杯王者に2-8で屈するもFC東京関係者に「我那覇の足元は(ボールが)収まる」と好印象を与えた。

 今年から青赤を率いるランコ・ポポビッチ監督は、オシム譲りのユーモアを交えて「あれだけの選手、ただ年金をもらうために琉球に来たんじゃないだろう? 周囲に経験を伝えながらJに上がって来て欲しいし、今日見た彼の振る舞いやスタイルに期待を持っている」とコメントした。

「今日はFC東京の良いサッカーだけが目立ってしまいましたね。ボールも人も動いて……。自分ももっとやらないといけない」。我那覇は悔しげに言葉少なく謙虚に振り返った。

 キャプテンとしての意志が端整な表情に滲んでいた。


 我那覇の選手としての本当の戦いがこれから始まる。もうひと泡もふた泡も吹かして欲しい。JFLが開幕したら、FC琉球はそれこそ日本中で試合を行なう。ぜひ会場に足を運んで声援を送り、願わくば他チームのサポーターも我那覇を見かけたら、大きなブーイングの後に「日本のサッカーのためにありがとう」と小さく控えめにひと声かけていただきたい。

『争うは本意ならねど ドーピング冤罪を
晴らした我那覇和樹と彼を支えた人々の美らゴール』
集英社インターナショナル 1575円

詳しくはこちら>>
 
2007年5月、川崎フロンターレの我那覇和樹はドーピングを理由に6試合出場停止の制裁を受けた。しかしそれは、ドーピングコントロール委員会の事実誤認によって作られた冤罪だった。なぜそのようなことが起きたのか? 渾身のノンフィクション。

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