さようなら広島ビッグアーチ 37歳の青山敏弘は1カ月前から起用を告げられ「本当に涙が出ました」 (2ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei

【誰よりもこのスタジアムに思い入れを持つ男】

 2006年、小野剛監督のあとを引き継いだミハイロ・ペトロヴィッチ監督のサッカーに出会えなければ、9年間も広島番を務めることはなかったはずだ。リスクも恐れぬ攻撃スタイルは、スリリングである一方で多くの歓喜を生み出すエンターテイメントだった。

 佐藤寿人に森﨑和幸・浩司兄弟といった実力者が存在し、青山敏弘、柏木陽介、槙野智章ら若手がミシャの下で台頭。広島の新時代の到来を予感させた。ペトロヴィッチ監督は志半ばでチームを去ったものの、あとを引き継いだ森保一監督の下で2012年に初優勝を成し遂げたのも、この地だった。

 1993年のJリーグ開幕時から、ビッグアーチは広島のホームであり続けた。しかし、サッカー専用の新スタジアムの完成を機に、今年いっぱいでその役割を終えることになる。11月25日に開催されたガンバ大阪戦は、ビッグアーチでの最後の試合だった。

「このスタジアムっていい思い出だけじゃなくて、やっぱり、苦い記憶もあった場所でしたからね」

 森﨑ツインズの弟、浩司は感慨深げに振り返った。

 初優勝を果たした2012年、G大阪とのチャンピオンシップを制した2015年には大きな歓喜に包まれた。だが、それ以前は優勝争いになかなか絡むことができず、敗戦の記憶のほうが強く刻まれているかもしれない。

 なかでも屈辱だったのは、2007年のこと。京都サンガFCとの入れ替え戦に敗れ、2度目のJ2降格を余儀なくされた。

 この瞬間を、松葉杖をつきながら迎えた青山にとっても、ビッグアーチは特別な箱だ。歓喜と悲劇の両方を知る在籍20年目の生え抜きは、誰よりもこのスタジアムに思い入れを持つ男であるはずだ。

 そんな青山だが、ミヒャエル・スキッベ監督が就任した昨季から出番を減らし、今季はわずかに4試合しか出場していなかった。しかし、ビッグアーチでのラストマッチでは今季初のスタメンに抜擢されている。

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