「箱根駅伝に勝つための1レース」國學院大学のエース・平林清澄が振り返る記録づくめの初マラソン初優勝 (2ページ目)

  • 和田悟志●取材・文・写真 text & photo by Wada Satoshi

【レース中に描いた3つのイメージ】

 レース前半は身を潜めるように後方に位置取っていたが、ハーフを過ぎると、集団の前方でレースを進めるようになった。

「いつの間にか出ちゃったんです」

 平林はこう話すが、これまでレースでは箱根駅伝2区の23.1kmが最長で、いよいよ未知の領域に足を踏み入れた。それでも、平林の足取りが鈍ることはなかった。

「23.1kmからは未知でした。箱根の23.1kmでぶっ倒れたぐらいなので、23.1kmで倒れないようにしなきゃ、と考えていました。でも、箱根はアベレージで1km2分52秒ペースだったのに対し、今回は1km2分58秒ですから、1km当たり6秒遅くていい。ハーフの通過は1時間2分47秒でしたから、これならいけるって思いました」

*    *    *

――その6秒の違いが大きかった。

「大きいですね。1万m28分フラットだと1km2分48秒ですし、箱根駅伝に向けては2分50秒で走る練習をずっとやってきていましたから。

 でも逆に、2分58秒ペースがどんなものなのか、感覚がわからなかったんです。そのペースに体を慣らす必要がありました」

――箱根駅伝の後、大阪マラソンに向けてはどんなトレーニングを積んできたのでしょうか。

「箱根の後に準備に入りましたが、大阪までは40日ぐらいしかなかったので、特別、マラソンに向けた練習をしたというよりも、箱根と同じような感覚で進めました。それが(レースに)はまったんですけどね。1月中旬に宮古島で10日間ぐらいの合宿をしましたが、40km走も一本しかやっていません。でも、2年の夏から(マラソンを意識した)練習には取り組んでいましたし、去年の8月には月間1200km走っているので、それも(好走の要因に)あったと思います」

――ハーフを過ぎて前方にポジションを上げていきました。

「学生記録が目標でしたが、日本人トップというのも頭の中にあって、やるからには実業団勢と勝負したいと思っていました。

 僕は頭のなかでだいたい3つほどイメージを作るんです。現実的な目標が学生記録。あわよくば2時間07分30秒切りをしたい。一番上の目標が日本人トップでした。日本人トップになるには、2時間6分台を出さないと難しいかなと考えていました。

"優勝"は、正直、高過ぎて見ていませんでした。現実的な目標を見ながらレースを進めていましたが、小山さんが集団の横にずれて少しずつ先行し始めたんですよね。そういえば、MGCの時もひとりだけ集団から外れていました。小山さんに勝たなかったら日本人1位はないよな、と思って、小山さんを見ながら走っていました」

――30km過ぎに、一度は差をつけられました。

「折り返しで、外国人の選手が転倒したのに巻き込まれたんですよ。転びはしませんでしたが、大回りしたためタイムロスになりました。その間に、小山さんはだいぶ前に行ってしまいました。

 でも、ペース的には箱根の感覚が残っていたので、追いつけるだろうと思ってペースを上げていったら、追いつけちゃいました」

――その前に25kmで日本人のペースメーカーが外れてからはペースがだいぶ落ちた場面がありました。

「外国人のペーサーが先頭から落ちてきたので、一瞬、こっちのペースが上がったのかなって錯覚しました。25〜30kmは15分23秒かかっているんですけど、あの場面があったから、"脚"を溜められたのかなって思っています。(パリ五輪3枠目の設定タイムの)2時間5分50秒を狙っていた人には、ペースダウンは焦る要因になったかもしれませんが」

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