初マラソンで好走も停滞続き「MGCで最低のレースをしてしまった」安藤友香が10000mで東京五輪の舞台に立ったワケ (4ページ目)

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by 森田直樹/アフロスポーツ

【自国開催へ苦手なトラックに挑戦】

 苦しんだ3年を乗り越えて、安藤は新たな挑戦を選択した。東京五輪はコロナの影響で1年延期になり、その結果、トラック競技で東京五輪に出場できる可能性が出てきたのだ。

「まさかって感じでしたね。1年延期になり、トラックで出られる可能性が出てきた。最初は、それでも強い選手がたくさんいますし、トラックに苦手意識があったのでそういう中で戦っていけるのかという不安がありました」

 安藤は、中学高校では1500m3000mをメインで走っていたが、実業団では駅伝やロードを走っている方が楽しかった。トラック競技には苦手意識を抱き、世界と戦うにはトラックではなく、マラソンだと考えていた。好きか嫌いかで言えば「嫌い」のトラックに、あえて挑戦するには大きな理由があった。

「東京五輪、自国開催の五輪で出られる可能性が0.1%でもあれば、挑戦したいと思いましたし、後悔したくなかったんです。何もやらないであとであーだこーだ言うのは違う。監督には『トラックよりもロード向きだから、次の世界陸上を目指していこう』と言われました。(2012月の)日本選手権の10000mの結果でいけそうな走りが見えたら考えようということになりました」

 20215月、日本選手権の女子10000m、安藤は311818で駆け抜け、念願の東京五輪への切符を得た。

 だが、東京五輪の舞台は、ロンドン世界陸上よりもさらに厳しいものになった。

プロフィール

  • 佐藤 俊

    佐藤 俊 (さとう・しゅん)

    1963年北海道生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、出版社を経て1993年にフリーランスに転向。現在は陸上(駅伝)、サッカー、卓球などさまざまなスポーツや、伝統芸能など幅広い分野を取材し、雑誌、WEB、新聞などに寄稿している。「宮本恒靖 学ぶ人」(文藝春秋)、「箱根0区を駆ける者たち」(幻冬舎)、「箱根奪取」(集英社)など著書多数。

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