初マラソンで好走も停滞続き「MGCで最低のレースをしてしまった」安藤友香が10000mで東京五輪の舞台に立ったワケ (3ページ目)

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by 森田直樹/アフロスポーツ

【3年間、過去の自分に囚われていた】

 20192月、安藤は心機一転ワコールへと移籍した。しかし、燻った気持ちのまま迎えた同年9月のMGCでは、ハーフ手前で先頭集団から離れ、8位に終わった。

MGCは、チームで福士(加代子)選手、一山(麻緒)選手と一緒に練習ができて自信があったんです。ただ、いくら練習ができても最終的には自分に勝つ、強い選手が五輪の切符を掴むんですが、私は暑さやペースから逃げてしまって最低のレースをしてしまいました」

 MGCでは、2枠が決まり、残すは1枠。MGCファイナルは大阪国際女子マラソンで松田瑞生が優勝して王手を掛け、安藤は2020名古屋ウィメンズで勝負を賭けることになった。

 しかし、MGC以降、練習ができず、とても戦えるような状態ではなかった。

「ヒドかったですね。もう目をつぶりたいぐらいでの出来で、一山選手が100%できていたとしたら私は30%ぐらいでした」

 レース前日、安藤の状態を考えて永山監督(忠幸・現資生堂)は第1グループで行って潰れるより第2グループで後半、落ちてくる選手を拾って順位を上げていくプランを述べた。

 しかし、安藤は納得できなかった。

「普通に考えたら監督の言う選択になるんだろうなと思いました。でも、せっかくマラソンを走るのに後悔はしたくない。先頭集団で勝負したいという気持ちが強かったので、レース前日のミーティングで監督に『第1グループで行きたい』と言いました」

 その時、永山監督は何言っているんだと困惑の表情を浮かべた。それでも安藤は断固として譲らず、「行きます」と宣言した。その覚悟を感じたのか、永山監督が折れ、「最後までやれよ」と安藤に伝えた。

「それで腹が決まりましたね。どこかでちょっと逃げたい自分、怖い自分もいたんですけど、みんなの前で言ったことで吹っ切れました。スタートラインに立った時は、練習出来ていないことは全然考えなくて、もうやり切らんといかん。先頭集団についていく。その気持ちでだけで走りました」

 レースは、一山に次いで2位、2時間2241秒でゴールに戻ってきた。周囲は安藤の快走に驚き、「まさか2番で来るとは」と驚いていたという。

「レース後は清々しい気持になりました。やりきったレースってこんな気持ちになるんだって初めて実感しました。正直、最初のレースからこのレースまでの間の3年間は、過去の自分に縛られていて、苦しかったです。これ以上、伸びないんじゃないかって陸上をやめようかなと考えたこともありました。でも、この時は、やっと過去の自分から卒業できた。一山選手にも心からおめでとうと言えたんです。自分にとっては非常に大きなレースになりました」

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